1. 敦煌で発見された唐代作の序聴迷師訶経<イエス・メシア経>の現代訳(続き)
イエス・メシアの裁判
メシアを捕らえる計画に失敗した祭司長や長老たちは、大王(ピラト)に向けてイエスの悪口を言い続けました。悪を行う者たちは、悪事を言い続けました。しかしメシアは善き事を行い、精力的に人々を救っていきました。それは32歳を過ぎてのことでした。
悪人に習う人々は大王眦羅都(ビラト)に向かい、ピラトの前で言いました。メシアを大王に向かわせ「メシアは死罪に当たります」と証ししました。大王は、メシアが死罪に当たり処分してほしいと言われても、実際に聞いても見てもいないので、「メシアは死に当らない」と言いました。このことは悪を行う人の処分したいところに従うこととなり、大王は、「私はメシアを殺すことはできない」と言い、悪を行う人たちは、「メシアが死に当らないなら、私たちを死なせてほしい」と言いました。
大王ピラトは、水で手を洗い、悪を行う人々に向かい、「私はメシアを殺すことはできない」と言い、悪を行う人たちは重ねて「殺すことだ」と言いました。
メシアは自分の体を差し出すことは全ての人のためであり、(父なる神がメシアを)この世の人々に遣わしたのも、人の命の身代わりとするためであったことを知るためで、今の世の人々のためにささげ、人の命に代わって死を受けました。
<解説>
この個所は、マタイ27章11~26節の「メシアの裁判」を部分的に漢文で書いています。ユダヤ教の指導者と総督ポンテオ・ピラトがイエス・メシアを裁判に出廷させ、死罪に当たるかどうかを論議している記事です。
罪を「悪業」とし、悪人を「悪縁」とし、ピラトを「大王」とし、メシアの身代わりの死を「布施(施し・ささげもの)」としています。メシアの死が身代わりであり、それが父なる神がメシアを地上に遣わした目的であると結論付けています。
唐代の信徒たちも、イエス・メシアの十字架の死が人間の罪の身代わりである代償的贖罪死であることを信じていたことが分かります。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年、イーグレープ)
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川口一彦(かわぐち・かずひこ)
1951年、三重県松阪市に生まれる。現在、愛知福音キリスト教会牧師。日本景教研究会代表、国際景教研究会(本部、韓国水原)日本代表。基督教教育学博士。愛知書写書道教育学院院長(21歳で師範取得、同年・中日書道展特選)として書も教えている。書道団体の東海聖句書道会会員、同・以文会監事。各地で景教セミナーや漢字で聖書を解き明かすセミナーを開催。
著書に「景教-東回りの古代キリスト教・景教とその波及-」改訂新装版(2014年)、「仏教からクリスチャンへ」「一から始める筆ペン練習帳」(共にイーグレープ発行)、「漢字と聖書と福音」「景教のたどった道」(韓国語版)ほかがある。最近は聖句書展や拓本展も開催。
【外部リンク】HP::景教(東周りのキリスト教)