急速に広まった東方への福音宣教
使徒たちによる東方宣教は、西方への宣教に比べ若干早く広まったと考えられます。福音が東方に広まった要因について、これまで述べてきたことをまとめてみました。
旧約聖書だけを見ていますと新約聖書の世界が分かりません。新約聖書だけを見ていますと旧約聖書の世界が分かりません。アジアとヨーロッパのユーラシア世界を舞台にしたのが聖書の世界であり歴史です。特に下図の重なる西アジアのパレスチナ、イスラエルを中心に東西南北に展開したのが聖書の世界です。
① 旧約時代の離散民のメシア待望
紀元前500年代のペルシア帝国時代以降、オリエント、イランの東方地域に多くの離散ユダヤ人らがメシアの来臨を待ち望んでいました。地中海世界のギリシア語文化圏にも離散のユダヤ人は多くいました。
主なる神は、選民たちの救い主メシアを待ち望む願いや祈りに応えて民を救いに来られる。それは歴史の中で多くの人も認め、世界中の多くの信仰者も体験し、神が約束したことです。
ゼカリヤ書9章以降、14章にもメシアの来臨預言が語られ、それを聴いた離散のイスラエル民、近隣諸国、イスラエルと関わった国々は真実に受け止め、メシアを求めてエルサレム巡礼が盛んになりました。
マラキ書3章にもメシアの来臨とその方が来られる前に道を備える預言者が来る預言があり、それが洗礼を授けるヨハネの登場となります。
② 東方(波斯・ペルシア)の博士たちの礼拝来訪
マタイの福音書2章でメシアが降誕した時、ペルシア(波斯)から幾人かの天文学者らしきメシア待望者がイエス・メシアを礼拝に来て、帰国した地元のペルシアでメシアを広めたことからメシア信仰が現実になっていきました。
③ エルサレム巡礼者の増加
それによりさらにエルサレムへの巡礼者が増えていくことになりました。新約聖書ヨハネの福音書1章19節によれば、ユダヤの指導者たちの幾人かは洗礼を授けていたヨハネに「あなたはどなたですか」と尋ねている様子が描かれ、ヨハネは「私はメシアではありません」と答えていることから、多くの指導者はメシアは誰かを探していました。
道備えのヨハネが洗礼を授けていた地域はヨルダン川の東、ペレアの地のべタニヤでした(ヨハネ1:28)。ここは異邦人の地でした。離散のイスラエルの民や異邦人たちがメシアに出会うに当たって重要な地域でありました。数日後にイエスは異邦人の地のガリラヤに行き、そこで宣教して弟子たちを召し出しました。
④ 聖霊による大規模な救済活動
イエスの復活と昇天後に聖霊が降臨して爆発的にメシア信仰者が増えていきました。信者になった多くの巡礼者の大半は東方世界の民たちでした。
使徒2章9節、10節には「私たちは、パルテヤ人、メディア人、エラム人、またメソポタミヤ・・滞在中のローマ人たち」と書かれています。東方地域のパルティア、メソポタミヤのペルシア地方から多くの巡礼者が来ていました。彼らが帰国して見たこと聞いたこと体験したことを、確信をもって言い広めたゆえに東方に教会が生れていきました。
他方、この日にローマ人の信徒も多く生まれ、彼らによっていち早く地中海世界の西方に伝わりました。それは使徒パウロがまだ信仰者になってはいないときのことです。
⑤ ビジネスマンたちによる福音の伝搬
道路網が整備されていて、ユーフラテス川地域を含むパルティア国は東方と西方ローマとの中継交易地点で、多くの商人(ビジネスマン)たちによっても福音が普及していきました。商人たちは色々な国民・国語、人の心を知っていましたから福音の伝達者として最適ではなかったかと考えます。時代が下って景教徒のビジネスマンたちの中に殉教者がいたことも事実です。今日でもビジネスマンたちが大きな役割を担っています。
⑥ 共通言語のアラム語、シリア語の存在
西方世界の言語はギリシア語でしたが、東方世界の言語はアラム語、シリア語で、へブル語を話すユダヤ人には身近な言語でした。旧約聖書もギリシア語訳ではなく、シリア語に訳していくことにより聖書が社会に定着し、シリア語は中国まで伝わっていきました。
⑦ 主の生き証人の存在
新約聖書が正典化していなかったにもかかわらず、メシアと共に歩んだ生き証人の使徒たちの確信と、彼らに働く聖霊の著しい指導により宣教と教会形成がなされました。
この時代はまだ福音書ができておらず、イエスから聞いたこと、見たこと、その生涯、十字架の贖罪と復活、昇天を伝え、特に旧約聖書に預言していたメシアがイエスであり、預言がイエスにおいて成就したことを大胆に伝え、イエス・メシア信仰告白者が生れていきました。
⑧ 離散の民の存在
紀元70年のローマ帝国によるエルサレム神殿の破壊と国外追放により離散した信者たちは、ローマ帝国と対立するパルティア国に離散することによって信者数が増えていくことになりました。
⑨ イエスの噂が実現する
東方の使徒としてトマスやバルトロマイやタダイなど多くの弟子たちが東方地域に行って福音を伝える以前から、イエスの噂は東方で知られ、多くの離散民や異邦人たちは福音を待っており、イエスの言葉をもっと聞きたいと待ち望んでいました。弟子たちは中国、朝鮮半島にも出かけ、その遺跡が韓国で発見されています。
今も福音の言葉を聞きたいと願っている者がいることを信じ宣教は続きます。
⑩ 使徒時代の新しい宣教NEWS
マルコの福音書を書き上げたマルコは、四方から新しい拡大宣教ニュース(N<北>、E<東>、W<西>、S<南>)を聞いて、追加分を書く必要が起き、それがマルコの福音書の最後に書かれた文章になったと考えます。
「イエスご自身、彼らによって、きよく、朽ちることのない、永遠の救いのおとずれを、東の果てから、西の果てまで届けられた」(マルコ16章・別の追加分)と追加した文のことです。
※ 参考文献:『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年、イーグレープ)
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川口一彦(かわぐち・かずひこ)
1951年、三重県松阪市に生まれる。現在、愛知福音キリスト教会牧師。日本景教研究会代表、国際景教研究会(本部、韓国水原)日本代表。基督教教育学博士。愛知書写書道教育学院院長(21歳で師範取得、同年・中日書道展特選)として書も教えている。書道団体の東海聖句書道会会員、同・以文会監事。各地で景教セミナーや漢字で聖書を解き明かすセミナーを開催。
著書に「景教-東回りの古代キリスト教・景教とその波及-」改訂新装版(2014年)、「仏教からクリスチャンへ」「一から始める筆ペン練習帳」(共にイーグレープ発行)、「漢字と聖書と福音」「景教のたどった道」(韓国語版)ほかがある。最近は聖句書展や拓本展も開催。
【外部リンク】HP::景教(東周りのキリスト教)