いろは歌の謎について
いろは歌には謎があります。それは下の段の右から読みますと「とがなくてしす(咎なくて死す)」となり、その方は誰かと考えられてきました。作者を、獄中歌を作った柿本人麻呂(660~720)、あるいは山上憶良(660~733) 、京都から九州に左遷された菅原道真(845~903)などと言われてきました。しかし誰が誰のために作ったかも不明です。
平安時代の大江匡房(1041~1111)は空海説を唱え、真義真言宗の覚鑁(1095~1144)は、仏教的に「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」としました。ここから空海(774~835)の作と言われ、現在は曲をつけて真言宗の宗歌として歌われています。
しかし、「咎(罪)がなくて死なれたのはイエスだ」との説が浮上しました。なぜなら上段右は「い」、上段左は「ゑ」、最後が「す」でイエスとなり、上段右から「いちよらやあゑ」と読んでいっちょら(一張羅)となり、「咎なくて死なれたのはイエスで、この方ひとり」となります。こじつけてしまいましたが、このように読むなら「いろは歌」は非常に福音的な詩であり、日本文化のかな文字を用いた宣教用テキストの一つと考えられます。
いろは歌の内容は、旧約聖書伝道者の書(コヘレト)1章の「すべては空の空・・・」や、旧約聖書イザヤ書40章6節からと、その引用の新約聖書第一ペテロ1章24~25節に似ています。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない」(Ⅰペテロ1:24~25)
いろは歌の意味は、花は咲いても散るように、人の生涯も朽ち果てて空しい。酔っ払ってもいないから空しい夢は見たくない(真理はどこにあるのだろう)。
誰もが経験する人生の空しさ、しかし神の言葉であるイエスがその空しさを満たしてくださる、咎なくて身代わりに死なれたイエスこそ真理、道、命で、永遠に変わらない方、この方に目を留め、信頼して生きていこうとメッセージを伝えているかのようです。
どなたか、この詩に曲をつけてゴスペル風に歌われる方があればよいかと考えています。
※ 参考文献、引用文献
1. 『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年、イーグレープ)
2. 『高野山真言宗檀信徒必携』(1988年、高野山真言宗教学部)
3. 『一から始める 筆ペン練習帳』(2011年、イーグレープ)
4. 第三回国際景教研究大会in善通寺「空海と聖書」講演集(2013年)
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川口一彦(かわぐち・かずひこ)
1951年、三重県松阪市に生まれる。現在、愛知福音キリスト教会牧師。日本景教研究会代表、国際景教研究会(本部、韓国水原)日本代表。基督教教育学博士。愛知書写書道教育学院院長(21歳で師範取得、同年・中日書道展特選)として書も教えている。書道団体の東海聖句書道会会員、同・以文会監事。各地で景教セミナーや漢字で聖書を解き明かすセミナーを開催。
著書に 『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年)、『仏教からクリスチャンへ』『一から始める筆ペン練習帳』(共にイーグレープ発行)、『漢字と聖書と福音』『景教のたどった道』(韓国語版)ほかがある。最近は聖句書展や拓本展も開催。
【外部リンク】HP::景教(東周りのキリスト教)