① 古代の教会史、キリスト教史は見直す必要がある
古代教会は、異端論争で明け暮れていました。同じ信仰者が神学の相異で異端論争を起こし、勝者は反対論者を呪うと言って追放し、敗者はいつまでも忍ぶかのような姿で生き、キリスト教史や世界史の表舞台に現れずに来たのも事実です。しかし近年、両者が近づく機会が起きています。
1994年11月に出されたローマ教会側の『キリスト理解におけるカトリック教会とアッシリア東方教会の共同宣言』において、アッシリア教会とローマ・カトリック教会は互いを認め、和解しました。これは新しい素晴らしいニュースでした。
2014年11月3日付のクリスチャントゥデイの主要ニュース「聖公会と東方諸教会、受肉論で歴史的合意」で、「聖公会のジェフリー・ローウェル主教と、アレキサンドリア・コプト正教会のディムヤート府主教ビショー座下が共同議長を務めた聖公会・東方諸教会国際委員会は、『キリスト論についての同意書』を発表した。これは、双方が歩み寄り、互いの教義上の正当性を認めたことを意味する」、続いて、カルケドン会議の告白で、「キリストの2つの性質は『解釈が違うだけで』、性質自体は『分裂、変化、混乱せずに存在し続ける』と声明は強調する。今回の声明は、東方諸教会はキリストの神性だけを信じる『単性論者』であるとの非難を断固として否定し、『東方諸教会の教理は、神の一つの性質だけではなく、御言葉の神と人の性質を結合させ、一人の人間として生まれたことを告白するもの』としている」とあり、20世紀後半から徐々に教会史の異端論争が見直されてきています。
また同11月7日付で、ローマ教皇と世界福音同盟(WEA)の総主事は、福音派とローマ・カトリック教会の関係における「新しい時代」を称賛したとあり、相違点と共通点を互いが認識、理解し、主イエスの命令を成し遂げていくことが語られました。葬られた歴史が復活し、市民権を得るとは、神のなさる事としか言えません。
私たちは勇気をもって教会史を見直す必要があります。見直さなければ間違ったまま歴史が伝わり、間違いを信じていくのも信者ではないかと思います。信者は指導者の言葉を信じます。指導者が間違っていれば全体が間違うことになり、いつまでも解決されません。
② 431年のエペソ会議(ネストリウスの追放)は真実だったのか?
431年のエペソ会議においてネストリウス(生年?~451 、[ラ]Nestorius、[ギ] Nestorios)は、他方のリーダーのアレクサンドリアの総主教(412)キュリロス(376~444、[ギ]Kyrillos、[ラ]Cyrillus)から、ネストリウスの唱える主イエスの母マリアの称号である「キリストの母」は間違いだと激しく攻撃、「神の母」こそが正しいと主唱され、当時の皇帝も加わり、キュリロス側が多くの賛同者を得てネストリウスの一行が会議に着く前に決議しました。その後、ネストリウス側も正統性を主張して議決しましたが、ネストリウスは異端者とされただけでなく、立場をはく奪され、リビアの砂漠(上エジプトのパノポリスとの説もある)へと追放されました。彼は一時、コンスタンチノポリスのトップの総主教(在位428~31)を務めました。後にエデッサの神学校が閉鎖に追い込まれました。
彼を支持した者たちはネストリアンと名付けられ、追放されました。その一部が中国に行き景教徒となったと神学書、教会史、教理史の書物に書かれ、神学校も教えて来ました。そのために欧米の多くのキリスト教指導者たちはそのように伝え、ネストリウスは異端者、景教も異端の群れとして片づけられ、研究する者を蔑視しているのも実情です。
しかし本当にネストリウスは異端者だったのか。マリアの称号をめぐって「神を生んだ女マリア」なのか「キリストの母マリア」なのかが問われたこと、イエス・キリストが真の神なら受胎した時にマリアの中でどのようにして人としての性質、性格をとられたのかの「受肉論」を説明することに、言葉や思想の上では当然限界がありました。神学的な言葉の真意を問わず、議論もなく言葉の上で両者が激しくぶつかり合って互いが呪い合う結果となったことは大変悲しいことでした。
イエス様は、ご自身が裁判にかけられ処刑される前に、数の論理で裁きをせず、父との信頼関係の上で贖罪の業を成し遂げられました。人間が群れるといつも出るのが数の論理です。それは間違いを引き起こす結果にもつながります。
これまでの教会史の中でも今においても、分裂が教会の中でしばしば起きます。キリストの愛を語り合った者同士が悪口を言い合い、憎しみ合うこともあります。この部分がエペソ会議でも行われ、分裂と追放への哀しい事実に至りました。結論を急ぎすぎると間違った方向に誘われていくのも事実です。
果たして一方的に皇帝と教会政治が絡んでのエペソ会議は公会議であったのか、検証される必要があります。しかし検証するにも資料が乏しく、当時断罪した12のアナセマ(呪い)のキュリロス側の文章しかありません。
③ 発見されたネストリウスの資料
1889年にシリア語でネストリウス著『ヘラクレイデスの書』が発見されました。1910年にはそれがシリア語で出版され、英語版は1925年に出ました。ところが本書ではネストリウスの真意が分からず、様々な批評も行われてきました。教会史の書物では「ヘラクレイデスのバザール(市場)」と訳されてもいましたが、それは間違いです。また本書への批判も起きました。それは彼自身による著作ではないとか、彼の名を使った第三者が書きあげたもの、などです。
今後、この書の研究と日本語訳がなされるよう期待したいところです。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年、イーグレープ)
『比較宗教学21』(川口一彦、1996年)
『キリスト教思想史Ⅰ』(フスト・ゴンサレス、2010年、新教出版社)
『東方キリスト教の歴史』(アズィズ・S・アティーヤ、2014年、教文館)
■ 温故知神—福音は東方世界へ: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)
(11)(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)(19)(20)(21)(22)(23)(24)(25)(26)(27)(28)(29)(30)(31)(32)
◇
川口一彦(かわぐち・かずひこ)
1951年、三重県松阪市に生まれる。現在、愛知福音キリスト教会牧師。日本景教研究会代表、国際景教研究会(本部、韓国水原)日本代表。基督教教育学博士。愛知書写書道教育学院院長(21歳で師範取得、同年・中日書道展特選)として書も教えている。書道団体の東海聖句書道会会員、同・以文会監事。各地で景教セミナーや漢字で聖書を解き明かすセミナーを開催。
著書に「景教-東回りの古代キリスト教・景教とその波及-」改訂新装版(2014年)、「仏教からクリスチャンへ」「一から始める筆ペン練習帳」(共にイーグレープ発行)、「漢字と聖書と福音」「景教のたどった道」(韓国語版)ほかがある。最近は聖句書展や拓本展も開催。
【外部リンク】HP::景教(東周りのキリスト教)