近頃は、男の子が喜んでおままごとに仲間入りするそうです。「何になりたい?」と聞くと、“お父さん”ではなくて“お母さん”と答えるのですって。なぜかというと、「お父さんはいつも家にいてないから、何したらええんか分からへん」と言うのです。いつまでもお父さん役が決まりません。「もう、お父さんは死んだことにしとこ」。怖ッ!そこで、聖書から父親の役目を4つ見ましょう。
1. 子孫を残す
「生めよ。ふえよ。地を満たせ」。子孫を残すことは、神様の至上命令です。
「しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟にはいりなさい」(創世記6:18)
ノアは神の命令に従って、家族を箱舟に入れ、子孫を絶やしませんでした。それにしても、山の上に箱舟を造り始めてから雨が降り出すまで、ノアの妻も息子たちも、息子たちの妻も、家長のノアによく従ったものです。ノアは「主のこころにかなった、神とともに歩む全き人」でした。人前でも、妻の前でも、息子たちやその妻たちの前でも、ノアのその姿勢が一貫していたからにほかなりません。
アブラムは、神様の約束が一向に実現しないので、妻サライの勧めで奴隷ハガルによってイシュマエルを得ました。「私は子どもの母になれるでしょう」(創世記16:2)。直訳ですと「私は建てられるでしょう」。
サライばかりでなくアブラムも、子孫を残すことで、男また夫としてのメンツが立つと考えてやったのでしょう。しかし、世々にわたる問題の種を蒔いてしまいました。
「イサクは自分の妻のために主に祈願した。彼女が不妊の女であったからである。主は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻リベカはみごもった」(創世記25:21)
もちろん、リベカも祈りました。しかし、主が夫「イサクの祈りに答え」られたので、リベカはみごもりました。
反対に、サムエルが生まれたのは、夫エルカナも祈ったでしょうが、ハンナの“祈りにならない祈り“に主が答えられたからです。夫エルカナは、息子の将来は「主のおことばどおりになる」(1サムエル1:23)と信じました。それゆえに、サムエルはその一生の間、貫いて祈り、預言者として大いに活躍しました。
「見よ。子どもたちは主の賜物。胎の実は報酬である。若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。幸いなことよ。矢筒にその矢を満たしている人は。彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない」(詩127:3~5)
◇
前田基子(まえた・もとこ)
イエス・キリスト緑の牧場教会(東京)で救われ、玉野聖約基督教会(岡山)から献身。生駒聖書学院卒。生駒聖書学院副院長。エリムキリスト教会牧師。ABCラジオ放送「希望の声」・テレホンメッセージ「希望の声」(074・373・3740:ゼロナシ・ミナサン・ミナヨレ)牧師。