3. 裁く・・・判断、決断を下す
最近、毎日のように親の子に対する虐待について報道があり、これが人の親かと思います。「裁く」ことは、一歩間違えると、殺伐たる「砂漠」と化します。父親の家庭における「裁く」権限は、子々孫々の繁栄に関わる重要なことです。父親は、先ず「裁く」ことに恐れを持たなければなりません。
父イサクは、食べ物の好みでヤコブよりもエサウを愛し、ヤコブは年寄り子のヨセフを極端に愛しました。父親の子に対する愛は実に身勝手、自分本位になる危険性があります。だから、父親はエルカナのように主のみこころに立ってはじめて、自分の弱さを越えて正しく「裁くー判断し決断を下す」ことができるのです。
アブラハムは、主のみこころが分かったので、翌朝、断腸の思いでハガルとイシュマエルを荒野へ送り出しました。主のみこころに立って「裁く」ということは、主の「裁き」の絶対的正しさと、主の「裁き」は必ず最善に至るということを堅く信じ、そして委ねて断行することです。苦痛と苦悩は伴いますが、父親の「裁き」を通して、主はその後に必ず最善を現わされます。
読売新聞に「育つ、育てる」という育児に関する記事がありました。日本文化の特徴は、母子一体感の強さだと言われてきました。ところが、調査によると「子どもは自分の分身」という感情は、母親よりも父親の方が強いと出たそうです。面白いことに、家事、育児への参加度が高い父親ほど分身感が薄い。なぜなら、子育ては予定が立たず、努力通りにはいかず、子どもが他者としての存在をぐいぐいと押してくるので、分身と思っておれなくなるのだそうです。
父親は育児を通して、以下6つの点で自らが変わったと自覚しています。
- 柔軟性:角がとれ、考え方が柔軟になり、他人に対して寛大になった。
- 自己抑制:他人の立場や気持ちをくみ取れるようになり、人との和を大切にし、自分本位な考えや行動をしなくなった。
- 視野の広がり:一人ひとりをかけがえのない存在と思うようになり、日本や世界の将来に関心が増した。
- 運命、信仰、伝統の受容:物事を受け入れることができるようになった。
- 生きがい、存在感:生きる張り合いが増し、自分をなくてならない存在だと思うようになった。
- 自己の強さ:健康に気をつけるようになり、他人と多少の摩擦があっても、自分の主義を通すようになった。
この中で、父親が最も強く意識しているのは、④に該当する「人間を越えた力や知恵があることに気づいた」ことだそうです。
お父様方、「育児は育自」。素晴らしいこのわざを奥様に独り占めさせないでください。
計り知れない主の御力と、主にある者の無限の可能性と希望を、ぜひ、お子さんに伝授なさってください。
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前田基子(まえた・もとこ)
イエス・キリスト緑の牧場教会(東京)で救われ、玉野聖約基督教会(岡山)から献身。生駒聖書学院卒。生駒聖書学院副院長。エリムキリスト教会牧師。ABCラジオ放送「希望の声」・テレホンメッセージ「希望の声」(074・373・3740:ゼロナシ・ミナサン・ミナヨレ)牧師。