前回に続き、マルタとマリヤから「バランス」ということを見てまいりましょう。
弟ラザロが死んで墓に葬られ4日も経って後、イエス様が家に来られました。マリヤは泣いているばかり、マルタはそれでも迎えに出ました。「主よ。もしここにいてくださっていたなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」。マルタのイエス様は、過去に働かれた主でした。また「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております」。未来に働かれる主でもありました。
イエス様は言われました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことはありません」。 実にイエス様は「今」生きて働かれている主なのでした。
イエス様はマルタに言われました。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか」。そこで、マルタは男たちに墓石を取り除けるように言いました。イエス様が「ラザロよ。出て来なさい」と声を発せられると、ラザロはよみがえり墓から出て来ました。
マルタは悲しみの中にもイエス様のところへ行きました。そして、イエス様に聞き、行動し、今働いておられるイエス様の「生きた信仰」を持つ者となったのです。
大切なことは「バランス」です。「霊的であること」と「実際的であること」が、ひとりの女性の中で「バランス」がとれていることです。聖霊様はバランスの霊です。「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です」(2テモテ1:7)。「力」と「愛」は両極にあるものですが、「慎み」英訳では「バランス」の霊によって紡ぎ合わされ、最高の結果を生み出すのです。
終わりの今のとき、主は女性に聖霊を大いに注ぎ、大きく用いていってくださいます。マリヤは「強い」という意味です。神様は女性の腰を太くされ、「祈る」特性をくださっています。祈りは女性を聖霊の力で満たし、霊的にも肉体的にも強くします。マルタは「貴婦人」という意味です。聖霊様は、鳩に象徴されるように清く平和なお方です。貴婦人の気高さと優美さをもって、事をなしてまいりましょう。
いつも姉妹たちに、私はこのみことばをプレゼントしております。
「彼女は力と気品(愛)を身につけ、ほほえみながら後の日を待つ」(箴言31:25)
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前田基子(まえた・もとこ)
イエス・キリスト緑の牧場教会(東京)で救われ、玉野聖約基督教会(岡山)から献身。生駒聖書学院卒。生駒聖書学院副院長。エリムキリスト教会牧師。ABCラジオ放送「希望の声」・テレホンメッセージ「希望の声」(074・373・3740:ゼロナシ・ミナサン・ミナヨレ)牧師。