山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。(『草枕』夏目漱石)
人生を達観した夏目漱石の言葉である。それでは、この住みにくい世の中で、一日をどのように生きたらよいのだろうか。
1. 一日一生
一日は貴い一生である、これを空費してはならない。そして有効的にこれを使用するの道は、神の言葉を聴いてこれを始むるにある。一日の成敗は朝の心持(こころもち)いかんによって定まる。朝起きてまず第一に神の言葉を読みて神に祈る、かくなして始めし日の戦いは勝利ならざるをえない。よし敗北のごとく見ゆるも勝利たるやうたがいなし。かかる生涯を終生継続して、一生は成功をもって終るのである。(『一日一生』内村鑑三)
キリストを信じる前の私は、「時間は自分のものだ」と思い、日々を空費し、むなしく過ごしていた。しかし今は、「今日という日は、神が造られたのだ」と分かり、一日を大切にして生きるようになった。
2. 一日一笑
2024年7月5日に山形県議会で、「山形県笑いで健康づくり推進条例」が採択された。具体的には、毎月8日を「県民笑いで健康づくり推進の日」とするほか、県民の役割として「1日1回は笑う等、笑いによる心身の健康づくりに取り組むよう努めるものとする」と定めている。
山形大学が県民2万人を対象とした研究では、ほとんど笑わない人は、よく笑う人に比べて死亡リスクが約2倍高かったようだ。こうして「笑いの効用」は、医学的に証明され、社会的にも公的に認知されてきている。
楽しいときや面白いときには、誰でも笑える。悲しいときや苦しいときは、笑うことができない。しかし、聖書によれば、笑い得ないときにこそ笑うべきである。さまざまな試練のただ中で、大いに喜べと命じられている(ヤコブ1:2)。信仰が試され、忍耐が生まれ、忍耐力を働かせて完全な人へと成長できるからである。
笑いは心の喜びの顔の表現である。笑いの秘訣は、主にあっていつも喜ぶことである(ピリピ4:4)。「主にあって」とは、「キリストに結ばれて」もしくは「聖霊に満たされて」という意味である。パウロは獄につながれ、いつ処刑されるかも分からない状況の中で、聖霊に満たされて、いつも喜び神を賛美していた。
なかなか笑えない世の中であるが、神を信じる者は少なくとも1日1回はお腹の底から笑いたい。また、そう心がけるべきである。
3. 一日一勝
世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。(1ヨハネ5:5)
「世に勝つ」とは、必ずしも「世の競争に勝つ」とか「敵対者を打ち負かす」という意味ではない。「世を超越して生きる」もしくは「肉なる自我に打ち克(か)つ」ということである。
人類救済の真の勝利は、イエスが肉なる自己を克服したことによって得られた。ゴルゴダの丘の十字架にかかる前に、オリーブ山のゲツセマネの園で、イエスは血の汗が流れ出るほどに苦しんで祈られた。「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」(ルカ22:42)
イエスが天の父に願えば、天の万軍が降りてきて、イエスの敵を一掃することができた。「敵に勝つ」よりも「己に克つ」方がよほど困難である。しかし、そこにこそ真の勝利がある。
自分の弱さ、怠け癖、人を裁く思いなどに1日1つでも勝利しようと思う。イエスを理想のモデルとし、イエスのようになることを目指し、聖霊に満たされて生きること。それは栄光から栄光への道である。
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