「表現者」という肩書
ある集会で、隣の人と名刺を交換した。肩書を見ると「表現者」と書かれている。
「珍しい肩書ですね。『表現者』とはどういう意味ですか」と聞くと「皆さん同じ質問をなさいます。これは自分の思いや感情を生き生きと表現し、相手の方に良いインパクトを与えるプロであるという意味です」とのこと。
よく意味が分からなかったが、追求するのも失礼だと思い、分かったふりをした。
その後、「表現者」という言葉が気になり、いろいろ考えてみた。「表現者といえば、誰もが自分の表現者であるはずだ」「でも、私は自分の思いや感情を自然に表現しているだろうか」「もっと相手に分かるように、もっと相手に良いインパクトを与えるように、自分を表現すべきではないだろうか」
テレビやラジオに出演したり、集会で講演したり、法廷で弁論したりしているが、それよりも、私は「書く」ことを通して自分をより良く表現しているのではないかと思った。
ある時、月刊誌の私の連載記事をコピーして、うつ病に悩んでいた有名な俳優さんに差し上げたところ、それを読んだ彼は、キリストを信じて救われ、同時にうつも治り、芸能界に復帰することができた。非常に喜んでくれて「ぜひこれを本にして、大勢の方に読んでもらうべきですよ」と言って、知り合いの大手出版社の社長に私の記事を送ってくれた。
ところが「残念ですが、あなたのお書きになったものには『毒』がありません。毒がなければ、今の時代、本としてはあまり売れないのです」という素っ気ない返事が返ってきた。「芸術は爆発だ!」と言った芸術家・岡本太郎氏が、『自分の中に毒を持て』という本を書いている。「毒」とは、「独自の個性」のことである。個性を抑え、周囲に合わせて生きる平凡人ではなく「もっと独自の個性を生かし、思う存分に生きてみろ!」と言っている。
表現者意識を持とう
ホテルのレストランで定期的に行われている朝食会に、画商歴40年というカトリックの方が参加するようになった。この方の表現力は抜群だ。誰もが体験する日常の出来事を、自分の信仰の証しとからめて、まるで絵画や演劇で見せるように語ってくれる。人々の心を魅了し、涙させ、おなかの底から笑わせるので、参加者がどんどん増えてきた。
聖書によれば、私たちは神の作品である(エペソ2:10)。一人一人が独特の個性を持つ最高の傑作である。私たちを通して、神はご自身を表現したいと願っておられる。何と、私たちは全能の愛の神を表現する「表現者」なのだ!
これは驚くべきことである。さあ、それでは今の自分を見て、あなたは神を十分に表現しているだろうか。
キリストを信じて新しく造られた「新しい人」「内なる人」「霊なる人」である本当のあなたは、偉大なる神と霊的に一つとされ、キリストの体の一部とされているほどに、とてつもなく素晴らしい存在なのである。自らの内に聖霊なる神を宿す「神の子」として、父なる神の栄光を輝かす表現者なのである。「あなたがたは世の光である」と主は言われた(マタイ5:14)。「私はこの世における神の表現者なのだ!」という意識を強く持って、自分の生きざまを通して偉大なる愛の神の栄光を輝かせていきたいと思う。
あなたがたの光を人々の前に輝かせ、そして、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ5:16)
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