雄弁は銀、沈黙は金。(Speech is silver, silence is golden.)
19世紀の英国の評論家トーマス・カーライルの名言。
1. 沈黙を守る
「知り合い同士のもめ事の仲裁をしたら、一方の当事者から恨まれ、私が攻撃されるようになってしまいました。どうしたらよいでしょうか?」
「どうして仲裁に入ったあなたが恨まれたのですか?」「はい、私が他方の当事者の肩を持っていると勘違いされたようです。私は両方の意見を聞いて公平に解決しようとしたのですが」
「それで相手はどういう方法で攻撃してくるのですか?」「電話やメールで毎日しつこく謝罪や慰謝料を要求してきます。初めのうちは反論していたのですが、相手は自分の意見を押しつけてくるばかりで、話し合いになりません。助けてあげたのに逆恨みされ、とんでもない迷惑を受けています。電話やメールに答えるのもストレスです」
この種のトラブルの法律相談が多くなってきた。攻撃される側にとっては非常に大きな負担であり、心が病んでしまうこともある。攻撃の内容によっては刑事・民事の法的手段に訴えることができるが、そのためには十分な証拠が必要となる。また、初期の段階では大げさにしたくない気持ちが強い。
そういう方には「沈黙して対抗する」ことを勧めている。感情的な相手と話し合いができなければ、沈黙して様子を見るほかはない。言い負かそうとすれば、相手はますます意固地になり、泥沼の紛争になりかねない。反論したい気持ちをこらえて沈黙を守り、決して相手の挑発にのらないことである。
2. 対抗策
具体的には、受信拒否や着信拒否をする。それで解決する場合も多いが、相手が感情的になり、別の方法で連絡してくる可能性もある場合は、拒否しないで、相手に言いたいことを言わせ、それに対して返事や返信をしない。留守電は聴かず、メールは読まず、一切を無視して、自分の気持ちが不快になるのを防ぐ。その際、留守電やメールを消去せずに証拠として保存しておくことが重要である。
相手はもっと頻繁に責めてきても、応答せずに沈黙していると、そのうちに連絡してこなくなる。憎しみや怒りを持ち続けることは、相手にとっても大きなストレスだからである。
相手の性格によっては病的にしつこく責めてくる場合もある。でも、こちらが沈黙している間に相手は留守電やメールに自分に不利な証拠を残すことになる。その中に刑法の犯罪行為や民法の不法行為などを証明できる文言や文章があれば、それらを証拠にして法的措置を取りやすくなる。
こうして、いざというときに備えながら、必要なときに弁護士などに相談すればよい。また、前もって最寄りの警察署の生活安全課に相談しておくとよい。自分や家族の身に危険が生じそうなときには、110番すれば警察が即対応してくれる。
3. 神の直接介入
ある牧師が、ネットで他人に誹謗中傷を繰り返していたクリスチャンの知人に、それをやめるよう忠告したところ、彼は逆切れして、今度は牧師に矛先を向けて攻撃してきた。牧師がそれに反論すると、知人は激高し、仲間を集めて集団で牧師に対して激しく事実無根の誹謗中傷を繰り返し、収拾がつかなくなってしまった。
やむを得ず牧師は沈黙を守り祈っていたところ、突然、神道の信者が介入してきて、「あなたがたはクリスチャンなのに、なぜ他の兄弟の悪口を言うのか! キリスト教の神様がそんなことを赦(ゆる)すはずがない! 非常に見苦しいからすぐにやめろ!」と強烈な反撃を続け、あっという間に彼らの悪口をやめさせてしまった。
4. 加害者のために祈る
沈黙していても、相手を憎んだり、恐れたりしないこと。憎しみや恐怖によって自分の心の平安が失われると、仕事や日常の生活に支障をきたしてしまう。全てを神に委ねて、相手を赦し、相手の祝福を祈るようにする。
こうして、沈黙によって相手に立ち向かい、背後で働く悪魔を追い払うことができる。神の子は、いやな問題でも神の訓練としてポジティブに捉え、いつも喜び、全てを感謝して生きることができる。
主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい。(出エジプト記14:14)
神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。(ヤコブ4:7)
◇