よく私たちは「天国」という言葉を使いますが、聖書の中で「天国」はどのように示されているのか、簡単に触れてみたいと思います。
最終ゴールとしての「天国」
聖書は1600年ほどの長い年月をかけ、66冊の書物にまとめられた神様からのラブレターです。
この聖書の最終ゴールは、ヨハネの黙示録21章に示される「新しい天と新しい地」の創造です。私たちがよく「天国」と呼んでいるのは、このところを指しています。
また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。(ヨハネの黙示録21章1節)
私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」(ヨハネの黙示録21章3、4節)
天国には、悲しみや苦しみが一切ないとよく言われますが、まさにその内容が示されています。
千年間地上に現れる天国
一方、旧約聖書に記されるアブラハムへの約束には、イスラエル民族、国家への祝福、今のイスラエルよりはるかに広大な土地の所有が約束されています。また、ダビデへの約束には、永遠に続く平和な王国の繁栄など、いまだ成就していない預言が数多く残されています。
旧約聖書で預言者たちが「神の国」と呼んで伝えたのは、やがて、これらの約束が成就する地上に現れる「天国」です。また、新約聖書でイエス・キリストも、この「神の国」のことを何度も語っています。
ヨハネの黙示録20章には、地上に現れる「天国」(千年王国)は、千年の間サタン(悪魔)が底知れぬところに閉じ込められることで実現すると記されています。
彼(御使い)は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕らえて、これを千年の間縛り、千年が終わるまで、これ以上諸国の民を惑わすことのないように、底知れぬ所に投げ込んで鍵をかけ、その上に封印をした。(ヨハネの黙示録20章2、3節)
私たちのただ中にある「天国」
さらにイエス・キリストは、後に来る「千年王国」や最終ゴールである「新しい天と新しい地」だけでなく、目には見えない、私たちのただ中にある「天国」の存在を伝えています。
パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」(ルカの福音書17章20、21節)
イエス・キリストは、私たちの罪を背負って十字架にかかり、死んで葬られ、3日目によみがえったことで、罪人である私たちを贖(あがな)ってくださいました。私たちは、全ての罪を赦(ゆる)され、神様の子どもとなったのです。
あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。(ガラテヤ人への手紙3章26節)
私たちの内に住む聖霊は、そのことを強く証しし、後の時代に成就する「天国」の前味を、今の時代に生きる私たちのただ中に実現してくださいました。
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