全国からの葬儀の相談や依頼に応えるようになり、365日24時間の連続勤務が続いています。休日がないのは残念ですが、夜は睡眠をとっていますし、余裕があるとデスクの前でよく居眠りをしています。時間を見つけて孫たちと遊びますし、仕事をしながら遠征や旅行に行くことも可能です。
ただ、いつも緊急電話を受ける立場にあり、全国規模の連携を拡大していますので、常に緊張感を維持しています。特に大切な人が召された直後の葬儀相談は、相談者の心の痛みが大きく、慎重な対応が求められます。たとえ深夜でも携帯電話が鳴れば、迅速かつ最善の対応に努めています。
また、前例のない宣教手段を提案しているため、支援者はいまだに少なく、常に資金不足、人材不足に陥っています。前職の退職金や寄付金などに守られ、スタッフや連携者に給与や謝礼を差し上げていますが、自己資金が枯渇する危険が常に存在しています。
一見すれば、負担が大きく難しい局面なのかもしれません。しかし、私自身はとても充実した毎日を送っています。かつて若い時代に抱えていたストレスは消え去り、宣教拡大に向け、大きな希望に満たされています。
現実を受け入れてダイナミックな人生へ
30年以上前のことですが、前職の厳しい業務環境の中、私は大きなストレスを抱えていました。難しい課題を抱えて仕事に追われ、心の余裕は全くありませんでした。
休日もストレス解消には程遠く、夫や父親の理想からは程遠いものでした。信仰が与えられ、喜んで教会の奉仕に臨みましたが、次第に疲れがたまっていきました。
40歳になったころ、疲れ切った私は、神様に全てを委ね、一切の重荷を明け渡す決心へと導かれました。その際、私の心に一つの目標が与えられました。それは、現実がどのようであろうとも「逃げない」という、ただ一つのことでした。
といっても、前に進むことも後ろに退くこともできないので、おのずとこのような目標になったのですが、この決心は、私の人生を大いに好転させることになりました。
後になって気付いたのですが、それまでの努力やさまざまな画策は、現実を受け入れられないことが起点になっていたように思います。結局は、現実逃避の表現だったのかもしれません。
私が、現実を受け入れて「逃げない」と目標を定め、努力や画策の全てを放棄したときから、神様に全てを明け渡すダイナミックな人生の扉が開いていきました。
いつでも楽しい仕事の中
その後私は、次第に心が軽くなるのを感じていました。それまでストレスを感じていたことでも、楽しめるようになっていました。私は、年齢を重ねるにつれ、状況が好転しなくても幸せになっていきました。
やがて会社の仕事だけでなく、家庭における妻や子どもたちとの交わり、教会の奉仕、それ以外の全ての営みもが、私にとっては大切な仕事(仕えること)と感じるようになりました。
それまで、会社、家庭、教会のそれぞれにおいてストレスがあり、ため込んだストレスを、別の場で発散させていたように思います。全てが楽しい仕事の中にあってこそ、良い人間関係を得て、充実した人生になるのでしょう。
課題を抱え込み、対応が難しくなっても、できることとできないことを判別し、優先順位を付け、目の前の仕事に集中するようになりました。できないことを素直に表現すれば、多くの助けを得ることも学びました。
50歳の頃から、会社の業務は一層忙しくなりましたが、私の会社生活はとても充実していました。やがて業務に区切りがついたとき、神様に導かれて、55歳早期定年退職をちゅうちょなく選びました。社内でも滅多にない事例でしたが、私にとっては、その時点における仕事の優先順位を見直しただけのことでした。
日本宣教の歩みは、天国の前味を知る楽しい日々
それから約14年が経過しました。仕事の内容は随分と変わりましたが、同じ仕事のスタイルが続いています。相変わらず忙しい毎日ですが、日々楽しく祝福された仕事を継続しています。
365日24時間、さまざまな仕事の中にありますが、神様に全てを委ね、イエス様と共に歩む日本宣教の歩みは、天国の前味を知る楽しい日々になっています。
まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。私はいつまでも 主の家に住まいます。(詩篇23篇6節)
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