今年も間もなくクリスマスを迎えます。クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う日として12月25日が定められ、全世界で祝われるようになりました。しかし、聖書の中に正確な日付が記されているわけではありません。
実は、イエス・キリストが生まれたころ、古代ローマではミトラ教という古代ペルシャに起源を持つ宗教が広がっていました。ミトラ教の最高神である太陽を司る神様「ミトラス」が、(北半球で)昼の時間が最も短くなる冬至の日に毎年生まれ変わるとされ、12月25日が誕生日として定められていたのです。
この日は、3世紀ごろにはローマ帝国の重要なお祭りとなり、各地で盛大に祝われていたそうです。
キリスト教が広まるにつれて
一方、1世紀にイエス・キリストが旧約聖書の示すメシア(救い主)としての働きを始められ、3年ほどの公生涯の後、十字架にかかり、復活してオリーブ山から昇天されました。その後、聖霊の力を受けた弟子たちは、多くの迫害を受けながら宣教を拡大していきました。
やがて4世紀に入り、ローマ帝国がキリスト教を公認するようになり、神様のひとり子であるイエス・キリストが降誕されたことの重要性が広く認識されるようになりました。それとともに、聖書に記されていないイエス・キリストの誕生日を定め、その降誕を祝いたいと、多くの信者が考えたのでしょう。
彼らは、太陽神ミトラスの誕生日(12月25日)が、ローマの人々の間に根強く祝われる習慣になっていたことから、この日をそのまま、イエス・キリストの誕生日として祝うようになったのです。
世の光として誕生されたイエス・キリスト
闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。(マタイの福音書4章16節)
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。(ヨハネの福音書1章5節)
このようにクリスマスの習慣は、異教のお祝いが起源になっているのですが、夜の時間が最も長い冬至の時期に祝うことを通し、救い主イエス・キリストが世の光として暗闇の世界に誕生されたことを、広く人々に知らせることになったのでしょう。
今や、世界中でさまざまな祝い方をされるクリスマスですが、救い主イエス・キリストが天の位を捨て、世の光として暗闇の世界に来てくださったことを覚え、クリスマスを心からお祝いしたいと思います。
エンディングは暗闇の中
日本社会では、「死」の危険や恐怖を感じることが少なくなりました。紛争の絶えない世界にありながら、80年近く戦争に巻き込まれず、平和が続いてきたことは、幸いなことだと思います。
しかし、生きている人は必ず「死」を迎えます。平和で楽しい時間が終わり、年齢とともに体の機能が失われていきます。いつの日か、希望のない「死」の暗闇が訪れることを恐れています。
多くの人が「死」に触れることを避け、「死」の恐れを取り除くさまざまな情報を探します。しかし、誰も不安を消し去ることができません。
死の暗闇を打ち破るイエス・キリストの救い
エンディングに関わる働きを進めるブレス・ユア・ホームでは、毎日のようにお葬式の生前相談を受けています。相談の内容はさまざまですが、相談者の本当の不安は、お葬式の内容より「死」そのものにあることを常に感じています。
もちろん、依頼や質問に応え、不安の内容をお聴きすることに徹していますが、状況が逼迫(ひっぱく)している場合には、生前に訪問する機会が度々与えられます。
ありがたいことに、今年も数件の病床訪問がかないました。死を目前にした状況ですが、当人が意識のある場合は信仰を持たれ、病床洗礼に導かれます。また、意識がない場合でも、家族と心を合わせ、神様が天国に導いてくださるように祈ることができます。
もちろん、召された後は、ご家族はキリスト教葬儀を希望され、葬儀後は牧師や教会とのつながりを大切にされ、新たに信仰に導かれる方もおられます。
このような優れた宣教効果が得られるのは、イエス・キリストの霊(聖霊)が永遠に続く希望(いのちの光)を「死」の暗闇のただ中に与えてくださるからなのでしょう。
まことに あなたは救い出してくださいました。
私のいのちを死から。
私の足をつまずきから。
私が いのちの光のうちに
神の御前に歩むために。(詩篇56篇13節)
弱さを抱え、暗闇の中にある人々に、救いを与える「いのちの光」が届きますように・・・。クリスマスの喜びが、全ての人に備えられますように・・・。
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