2015年1月17日、春日井市文化財友の会主催の講演会(会場/愛知県春日井市の中央公民館)にて、景教碑の題額文字の謎について発表しました。
1.常用漢字と異なるのはなぜか
大秦景教流行中國碑(781年2月4日建立)とは、「ユダヤ(大秦)からイエスの教え(景教)を中国に伝えた(流行)碑」で、文字を書いた呂秀巖は景教神学校の校長です。先祖は秦始皇帝の父・呂不韋、その子孫の一人が韓国のキリスト教新聞社の社長で牧師の呂容悳氏。彼は私たちが属する国際景教研究会の会員で、呂氏族の系譜を私に見せてくれました。
「景教碑の題字の景が常用漢字とは異なっているのはなぜか?」が今回のテーマでした。2014年の国際大会で韓国の李仁植氏が発表した内容に、さらに私が研究を加えたものを発表しました。景教やキリスト教を知らない大勢の方々に、聖書とイエス様の救いについて伝える機会が与えられ、感謝でした。
景教碑には碑陽(前面)と碑側の3面に「景」が合計19使用され、すべて口・十・日・小の合成字となっています(※下のイメージ参照)。唐皇帝李淵の祖父李虎(551年逝去、諡号は景帝)の名を避けるために忌字(いみじ)となり、この文字にしたと考えられます。これは宣教に際しての知恵と考えます。なぜなら、立てられた指導者は神によるからです。
2. 忌字の諱忌(きき)、避諱(ひき)、諡号(しごう)について
諱忌、避諱の意味について辞書では、諱は「避ける、隠す、畏れ多い、死者の生前の本名、高い位の人物名」などがあります。忌は「きらう、はばかる、避ける、遠慮する、不吉、喪中」などがあり、諱忌は「気にさわる、機嫌を損なう」とあります。
歴史の用例として
A. 聖書の場合、十戒の第三戒に「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない」(申命記5章11節)とあります。神名であるヤハウェ(在る、存在の意味)を唱えることを恐れたユダヤ人は、かわりにアドナイ(主)を使用してきました。聖書には、他に神と訳したエロヒーム(力を意味)がありますが、これは変化していません。
イエスは、聖霊を汚す罪はとこしえに赦されないと語られ、イエスがなさっていた行為を否定すれば、聖霊を汚すと教えられました。
B. 日本の場合、祭神名や天皇名の使用は畏れ多いとしてきました。その他の高位貴人名もそれと同様です。
C. 中国の場合、中国の歴代皇帝名の一般使用は、清の最後の皇帝まで禁じられてきました。
唐代(618~907)の皇帝の始祖は李淵、2世は太宗の李世民(598~649)です。李・世・民の文字は太宗の死後、畏れ多いことから一般庶民には使用不可でした。もし使うと死刑に処せられ、どうしても使いたい場合は、点画を変える必要がありました。西安にある唐代の石碑では、民の字から横棒をとったり、氏や人の字に書きかえたりした例が見られます。これを欠劃(かく)・欠字問題と言います。鳩摩羅什(344~413)が訳した「観世音菩薩」を、唐代の玄奘(602~664)が「観自在菩薩」「観自音菩薩」と変化させたのもその一例です。世の字は代にかえられ、「二代目、代々、君が代」などとなりました。京都はもともと「京師(けいし)」で、天子が住む都を意味しましたが、西晋時代に世宗(司馬師)の諱である「師」の文字を避けて京都に改字。それが今日に至っています。
景の字の変化は、このような理由で変更したと考えます。それは景教讃美歌や経典でも見られます。
3. 救い主の名前を呼び、伝えることは救い
イスラエルの民は紀元前2000年前から主の御名を呼び続け、メシア(ギリシア語でキリスト)がユダ部族から生まれ、救い主として来られると預言され、期待していました。そのために系図が重要でした。
メシアとは職名で、民を平和に導く王、人の病を癒やし、罪咎を赦して、神に執り成す大祭司、神の言葉を宣言する預言者の3職を兼ねます。イエスはメシアとしてのしるしを行い、メシアと呼ばれました。メシアであるがゆえに十字架で私たちの罪を赦すために身代りの贖罪死を遂げ、死から復活し、3職を全うされました。主イエスは、弟子たちにご自身の使命を遂行する使者として特別に権威を与え、使徒と名付けました。彼らはイエスが救いの主であることを伝え、罪の赦しを宣言し、永遠の命を受けるように指導し、信徒を神の国に導きました。イエスを神と崇め礼拝し、全世界に派遣されていきました。
聖書は「主の御名を呼ぶ者はだれでも救われる」と宣言しています。名はその方自身であり、権威があります。イエスは生きておられる神であり、救い主であるがゆえに、信じて名前を呼ぶ者は救われます。
景教徒たちもイエスの御名「移鼠、翳數・弥施訶」「三一」とその救いを中国皇帝に伝え、全土に教会堂を建てて広めていきました。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年、イーグレープ)
■ 温故知神—福音は東方世界へ: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)
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川口一彦(かわぐち・かずひこ)
1951年、三重県松阪市に生まれる。現在、愛知福音キリスト教会牧師。日本景教研究会代表、国際景教研究会(本部、韓国水原)日本代表。基督教教育学博士。愛知書写書道教育学院院長(21歳で師範取得、同年・中日書道展特選)として書も教えている。書道団体の東海聖句書道会会員、同・以文会監事。各地で景教セミナーや漢字で聖書を解き明かすセミナーを開催。
著書に「景教-東回りの古代キリスト教・景教とその波及-」改訂新装版(2014年)、「仏教からクリスチャンへ」「一から始める筆ペン練習帳」(共にイーグレープ発行)、「漢字と聖書と福音」「景教のたどった道」(韓国語版)ほかがある。最近は聖句書展や拓本展も開催。
【外部リンク】HP::景教(東周りのキリスト教)