憧れのヨーロッパ
「かあさん、次は君をきっとヨーロッパに連れて行くからね!」「えっ、ホント、嬉しいわ! 楽しみだわね・・・」
妻にこんな約束をしたのはバブル経済が華やかりし頃だった。私のサラリーマン生活は順風満帆で、アジア、欧米など20を超す国々に出張を繰り返し、多忙を極めていた。
そうした日々を過ごす中で、ふとした弾みから、妻とあの約束をしたのだ。ところが、バブル経済が崩壊し、私は、突然、滅私奉公してきた会社からの早期退職を余儀なくされた。まさに青天の霹靂(せいてんのへきれき)であった。妻との約束どころの話ではなくなった。
不況の最中、再就職もままならず、私はただぶらぶらする毎日を送った。挙げ句は、周囲の目をはばかるあまり、家に引きこもり、茫然自失の日々を送るようになった。妻にとっては、思いも掛けない出来事だった。
私は、将来への不安と焦りの重圧から逃れようとして、妻の制止も聞かずに次第に酒におぼれていった。
成人した3人の子どもたちは、私の姿を目の当たりにして不安を隠さずには居られなかった。私は、時折、妻と一緒に涙する彼らの姿をかいま見て、胸がつぶれる思いであった。
しかし、毎週日曜日に教会に通う敬虔なクリスチャンである妻は、いつも人一倍の忍耐と寛容さで私を励ましてくれた。
もう妻は、私の約束などすっかり忘れてしまったかのように、「お父さんはね、長い間、一生懸命に働いてきたのだから、今は休む時が与えられているの・・・」と子どもたちに諭すように語りかけていた。
引きこもりという、長く暗いトンネルから中々抜け出せなかった私。だが、2年前の夏、新天地への転居が、私の背中を押した。生活環境が一変し、私の心の中に微妙な変化が生じたのだ。
のどかな田園と林に囲まれながら、四季折々に移り変わる風景に心を奪われた。そして、私の塞(ふさ)ぐ心は次第に癒やされ、引きこもりという呪縛(じゅばく)から解き放たれていった。
ある日、妻がTVに映る美しいヨーロッパの風景を目にしながら、「綺麗な街並みねえ・・・。お父さんが元気になって良かった!」と静かに呟いた。
その時、私の心の中に硬く封印しておいたあの約束が徐々に頭をもたげ始めた。そこで私は、あの約束を決して空手形に終わらせてはならない、きっと約束を果たそう、と心に決めた。
その頃、私はようやく再就職を果たし、昼の仕事を終えると、夜はパートの肉体労働の仕事に向かう毎日を過ごしていた。
それからしばらくした師走のある夜、私はふと夜空に向かって目を上げた。
凍てつく星空にジェット機が小さなライトを点滅させながら遠ざかって行く。何処に向かって飛んで行くのであろうか、とぼんやり眺めていると、ピカッ、ピカッ、ピカッ、ピカッと瞬く小さな光が、まるで私に、「YA・KU・SO・KU・・・」とでも囁(ささや)きかけているかのように思えた。
私は、夜の静寂(しじま)の中で一人佇みながら、妻との約束にあてどもない思いを巡らせていた。
■ 雲海のかなたに: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)
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高橋幸夫(たかはし・ゆきお)
1947年、東京生まれ。68年、東京都立航空工業高等専門学校機械工学科卒。同年小松製作所入社、海外事業本部配属。78~83年、現地法人小松シンガポールに出向駐在、販売促進業務全般に従事。この間、アセアン諸国、ミャンマー等に70回以上出張する。88~93年、本社広報宣伝部宣伝課長として国内外の広告宣伝業務全般及び70周年記念のCIプロジェクト事業の事務局として事業企画の立案・推進実行に従事。欧米出張多数。93年、コマツのグループ子会社に出向。98年、早期定年退職制度に従い退職。2006年、柏市臨時職員、柏市介護予防センター「ほのぼのプラザますお」のボランテイアコーデイネータ。07年、天に召される。