天国の希望を信じて
訳もなく、涙が出てくる時がある。今まで平和な気持ちで眺めたこのベランダからの景色も、もう同じ気持ちでは見ることができない。康子が気丈に明るく振る舞ってくれているのが分かると、何とも言えぬやり切れぬ気持ちになる。ちょっとした振る舞いに昔の思い出が次々とよみがえったりする。特に、康子のあの時の笑顔、あの時の笑顔と・・・いろいろな笑顔を思い出す。寝ぼけたり慌てたりして、パジャマのズボンが片方のみまくれ上がっていたり、靴下を片方だけ履いていたりといろいろ笑わせてくれた。中年になってから腹が出てきたり、口元にシワができたりしてきたが、昔を知っている者にとって、それにもまた哀愁を覚える。
このやり切れない切なさや、時として出てくる涙は、単なる死への恐れというものもあろうが、康子を愛しているが故というのが大きいかもしれない。自分一人だけならどんな気持ちになるのか知る由もないが、全く違った心になるように思う。
私はクリスチャンである。私は何か基本的なことをなおざりにしている。根本的なこと、それは私たちの死後、天国に私たち一人ひとりの住居が準備されているということである。これが私たちの希望である。この希望を決して忘れてはならない。神様はイエス・キリストを通じ、死をもコントロールできる。死を超越されていることをすでに証明された結果、この希望への言及も証明された。何故私たちのこれ程までの心の奥から湧き上がる喜び、すなわち希望を与えてくれたのか、その理由も明確にされた。生まれながらの私は、最初に記したように弱くてメソメソしている。しかし神様はそのことをよく知りつつ、そういう状態に長く居ることを望んでおられない。死をも超越された神様の言動を信じないで、その次に位する死に振り回されているのであれば、神様としても良い気はしないであろう。
私は神様の言われる永遠の命、天国を信じ、なおかつ生きている間に必要なことをすることが大切であると思う。
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。