神が与え、神が取られる
昨日、大田医院で細胞片のチェック結果が出た。やはり大腸がんである。結腸でかなり進行しており、すでに肝臓や血液の中に大量に広がっている。覚悟はしていたし、近藤牧師にも同席してもらったので、やや気が紛れたが、それでも強い打撃を受けた。ショックというより、死を覚悟することを迫られた様な、覚悟の要る、孤独な強い衝撃とでもいおうか。死がもっと迫ってくると、また違った感覚を持つと思うが、今は透明な感覚。深いブルーの中の静寂、その中に自分はいるのだが姿は無いという様な気持ちである。
私は聖書を知らなかったら、キリストを信じていなかったら、悲愴感に苛まれて、平安な気持ちなどとても持つことができないであろうと思う。諦観に支配され、孤独に死と直面し、とにかくひたすら耐え続け、もちろん希望なども持ち得ず生きていかねばならなかっただろう。
「すると、神はヨナに仰せられた。『このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか』」(ヨナ書4:9)
神がヨナのためにとうごまを与えられ、安らぎを与えられた。ヨナも非常にこれを喜んだ。しかし神がこれを取り上げられるとヨナは怒った、神に向かって。神が与え、神が取られるのである。
私たちの生命体はどうであろうか。私たちの誕生は、私たちの知らぬうちに行われている。私の今あるのは、神によるのである。今まで65年間神によって、新しいことや悲しいこと、いろいろさせてもらった。いろいろ楽しい思い出が記憶に強く残っている。嫌な思い出は不思議とあまり強く残っていない。これも神様が私を楽天的につくって下さったからであろう。私の生命を65年で取り去られるのも、神様の計画であろう。否65年というのは私の考えであり、神様の本当のご計画は何年か分からない。65年と私が勝手に決めるのは、非常に傲慢であるし、謙遜さがないので、私はこの態度を改めねばならない。神が私のような小さな者にも天国を備えて下さっていることを感謝している。
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。