一番したいことは
私は学校を出てから就職したが、技術職だったので、大学院でそれらの技術を身につけたと見なされ、初めから人を数人使う立場に配置された。その部門(地震探査)では、私が先駆者であった。次いで父親の会社に入社することになったが、ここでも当然のように初めから役職付きの、人を使う立場にあった。
いくら人を使う立場にあっても、優秀な人は下積みの経験を自ら買って出るのだが、私は違った。私は良くない上司であった。もちろん肉体的に楽な代わりに精神的に辛いという面もあるが、慣れてくると総じて私は楽をして、従業員は私ほど楽ではなかったと思う。そのためか、給料をもらっても本当に心からありがたいと思ったことはなかった。本当に100%労働の対価であると思ったことはなかった。こういう献金を神様は喜ばれるだろうか。今私は若く再び働くことができるなら、人の下で汗水垂らして真っ黒になって働きたい。
「あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう」(詩篇128:2)
このような気持ちは、富と金に対する私の気持ちが変わってしばらくして、強く心の底から湧き出てきたものである。私はこれが私の体の要求、無意識の要求であると思うが、真実のところは分からない。今私は今まで10年近く興味を持って習ってきた英会話や、半年ほど前に始めたピアノなどに、それほど興味を持っていない。一番したいことは、汗水流して働きたいと夜中に示された。この私の汗水垂らして真っ黒になって肉体的労働をしたいというのは、現在の私の病床と闘病という立場からきた象徴的な願望であり、必ずしもその通りのものではないということを示された。炎天下の重労働、長時間の過酷な労働など、正直耐えられそうもないし、それほどやりたくもない気がする。要するに、適度な肉体労働をしたいということに落ち着く。
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。