真剣に、執拗に願う祈り
今日は、夕食のお祈りの時に私が祈っていると、康子がもっと強く強く神様にお頼りした方がよいと言った。私の病のことに関してである。
その時、私は思った。なんとも、私の祈りは弱々しくよそよそしいのだろうと。私たちは普通自分の父親に対してそんな遠慮がちなよそよそしい願い方をするだろうか。また父親は父親で、そんな他人行儀の息子を可愛いと思うだろうか。
「あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう」(マタイの福音書7:9、10)
聖書に何例もあるように、子どもは執拗に親に願えと書いてある。他人行儀ではなく、真剣に、執拗に。
放蕩息子のたとえのところで、息子は「もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください」(ルカの福音書15:19)と願い出た。彼は、昔は当然と思って無意識に甘受してきたことが失われた時に、初めてその有り難さが分かり、今となってはもう資格がないか、もう遅いけれども、執拗にお願いする。ここでは彼のお父さんは、昔のことは水に流し、喜んで彼を受け入れてくれた。
私の場合ちょっと違うけれども、放蕩息子と心情がちょっとだけ似ていることがあり、記したい。私はこの通り、手術をし、またついで化学治療をしなければならない。いろんな副作用が予想されるし、体自体の中にもいろいろ制約があって、自由には動きにくい。こうなってみると、私は、今一番したいことは、楽しい趣味を行ったり、旅行をしたりすることではなく、体を動かして働きたいということである。何の制約もない体で、力一杯、一生懸命に働きたいということである。今初めて何の感謝もなく甘受してきた健康な体の有り難さが身にしみて分かる。
「あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう」(詩篇128:2)
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。