生命のろうそく
小学生の頃、母親に禁じられていた川で泳いでいて、深みにとらわれ溺れそうになった。中学生の頃から始まった、喉の悪性腫瘍による4回の手術、大学生の頃、山嶺から転落して九死に一生を得、バブル崩壊期に経営の窮地に陥ったこと等々は、今でこそ笑えるが、生死に関わる体験であった。しかし、50代になった途端、今までと違った意味で死を意識した。それは今まではまだまだ遠い先と思っていた死が、50を境に、急に案外間近にあることを意識したのを覚えている。何故かは知らぬが、身体の生理的な自然の声なのであろう。しかし死期までは明示された訳ではない。
今年度初頭に宣告された病は、ほぼ死期を宣告されたに等しかった。年老いて漠然と死期の近づいていることを知ってはいても、漠然としているところに救いがある。余命○○年と宣告された時のショックや絶望感に比べると、例え明日に迫っていようが、死期を知らない人には、このショックや絶望感はない。知っているのと知らないでいるのとでは、雲泥の差がある。世への未練が患者の心を苛(さいな)むであろう。死とともに、闘病の苦痛の恐れもあるだろう。とにかく、全て患者本人の身に起こることである。本人が苦しくとも経験し、戦っていかねばならないことなのである。誰もこればかりは代わりをすることができないのである。だから、その心痛のいかばかりかは容易に推測できる。
時代劇を見ていると、よく代官が町民らに「身の程をわきまえよ」と毅然(きぜん)と言い放つ場面がある。私たちも神の前に身の程をわきまえねばならない。私たちは生まれてこの方、自分が神の前に進み出ることなどできる身分ではなかった。その資格がなかった。生まれついての罪人であり、義のひとかけらもなかった。
「私は、主の恵みを、とこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます」(詩篇89:1)
それ以前に、私たちの生は、自分で創ったのではなく、神によって創られた。私たちの生命の誕生は、神による創造である。私たちは自分の分を、わきまえなければならない。
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ記1:21)
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。