隣人を自分自身のように愛することは可能か
聖書には、自分自身を愛するように隣人を愛せよ、と書いてある。これは実行するとなると本当に難しいことである。というのは、必ず自分自身の家庭に、犠牲が及ぶからである。昔は仕事にあぶれた親族が数カ月間もよく居候していた。私も幼少のころ、こつぜんと現れた親戚と何カ月も同居したことを思い出す。妻の両親などは親戚を引き取り、学校にまで行かせたそうである。しかし、最近では情が幅を効かす生活は段々と少なくなってきた。逆に金が幅を効かす生活が段々と日本全土を被い出してきた。
私自身、狭い範囲である親戚の問題ですら愛をもって対処できない。犠牲が及んできそうなことは避けようとする。実際、今日ではいかに親戚であろうと、金銭に関わる債務保証などは、慎重にならざるを得ない。共倒れとなることも覚悟しなければならないからである。友のために犠牲になることは、言うはやすく行うは難し。正にその通りである。
それに比べて、神様は私のような者に何と多くをしてくださったことか。特に信仰を持った30代後半から、ほとんど私には奇跡としか思えないようなことを、数多く成してくださった。善意の神様であるから、神様ならやってくださると常に楽天的な気持ちでいて、正直なところお祈りなどもあまり長く頻繁には行っていなかった。ただ、善意なる神様という念は忘れたことがなかった。
私は親戚という近い者にさえ、愛をかけられない者ですが、神様にとっては親戚どころかもっともっと遠い存在である私たちを愛してくださったことを本当に感謝します。祈りをもって、少しでも神様の御言葉を実行できるよう、自然の心を成長させてください。
「『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです」(マタイの福音書22:39)
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米田武義(よねだ・たけよし)
1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。