リハーサルや予行練習の時はうまくいったのに、本番でうまくいかなかった経験はありませんか? 私はそのような経験を何度もしてきました。本番で緊張しないように、「練習を本番、本番を練習」のように考えたためでした。演奏する前のリハーサルでは一生懸命にステージで歌い、とても盛り上がるのに、本番では緊張感がなくなり、力が十分に発揮されないと残念だなと思います。
それ以来、「いつも本番!」と考えるようにしました。牧師がやる仕事の多くは、人に向けられた活動ですが、すべて神に向かっての奉仕だと思っています。歌や演奏のリハーサルも「神への賛美」で、講演の準備や練習も「神への祈り」です。練習も本番と同じ気持ちです。そして、本番の時も、「神への賛美」と「神への祈り」です。だから「いつも本番!」です。
この考え方は、どんな仕事や分野にも応用できます。ある人は、自分の仕事を「つまらないもの」と考えて雑に行い、「雑用」にしてしまいます。世の中に雑用など一つもないのに、雑に行うことで雑用にしてしまいます。
ある人は、人が見ている時だけ一生懸命に働いて、人がいなくなると手抜きをします。そのように仕事をしていると、ある時、怠けている姿を社長に見られてしまうものです。人が見ていなくても、一生懸命に働いている姿を、誰かが、どこかで見ているものです。不意に見られた姿こそが、「その人の本当の姿」として心に焼き付けられ、良くも悪くもその評判は瞬く間に広がっていくものです。
人生は、そんなに長くありません。「いつも本番」と考え、人が見ていても、見ていなくても、一生懸命に生きる。人に対してではなく、神に対して生きることです。神を実在者と信じ、神とともに歩んでいるクリスチャンは、いつでも神に向かって一生懸命に仕事をします。一方、人が見ている時と人目のない時では、全く違う生き方をする人がいます。神は、人目に隠れたところで行う愛のワザを喜んで見ておられ、その人に素晴らしい仕事と祝福を与えられます。
「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です」(ルカ16:10)
「その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ』」(マタイ25:21)
全てのことを神に向かって行い、いつも本番だと考えて生きましょう! そんなあなたに、祝福が追いかけてくるはずです。
「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう」(詩篇23:6)
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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