二男(息子B)は、高卒後地元の企業に就職し、我が家から通っている。2日前に親知らずを抜いて、かなり痛そうだ。「あない、痛いと思わんかった」と青ざめている。普段は呼吸でもするように食べるのだが―それでいてスリム―この2日ほどは好物を作っても残し、げっそりしながら会社に通っている。
私は親知らずを抜いたことはないが、周囲の人から非常に痛いものだとは聞いているので、消化の良いハイカロリーなものを刻んだりすりつぶしたりし、柔らかく飲み込みやすくして彼の食卓に出している。親子でも互いの痛さは分からないし、代わることはできないが、息子Bが痛みに耐えているとこちらまで顔がゆがんできて、母親としてできるだけのことはしようと思う。
彼の食事の準備をしていると、ふたりの息子に離乳食を作っていた幼い頃を思い出した。長男、二男と続けて生まれたので、あまり手際が良くない私は、楽しい中にも本当に忙しくしていた。そういう中で、出産前から教会、というより牧師夫人には支えられ、助けていただいた。
20数年前、私が通っていた教会には、そこの牧師夫人が始めた「母と子のクラブ」があった。週に一度、まだ幼稚園にも保育園にも通っていない子どもを連れたお母さんたちが集うクラブで、私は、生後2カ月くらいの長男を連れて初めてそこへ参加した。
教会の大広間にはたくさんのおもちゃや滑り台が置かれ、幼い子どもたちは盛大に走り回って遊ぶし、赤ちゃんたちは母親のそばで転がったりハイハイしたりしている。お母さんたちは、わが子を横目で見ながら、安心しておしゃべりしていた。
初めてそこへ行った日に、段ボール箱を渡された。中にはきれいに洗濯された赤ちゃんの肌着やおむつカバー、普段着がぎっしり入っている。クラブに集う子どもさんが使ったもので清潔なものを集めておいて、新しいお母さんにプレゼントするのだった。惜しげなくじゃぼじゃぼ使わせていただき、とてもありがたかった。「赤ちゃんの肌着や普段着は、なるべく買わないでね」と、牧師夫人から釘を刺されていた意味が分かった。
いつもは子どもから目を離せないお母さんたちも、そこでは安心して座り込み、育児の本音や不安に思っていることなども話せる。
ある日のおしゃべり。「この子が生まれて『女の子ですよ』とお医者様から告げられた時、『女の子だから、大人になったら今の私と同じ産みの苦しみを味わうんだわ』と、とてもかわいそうになった」。「私も」「私もそうだった」と、共感する人がワイワイと。
「私は男の子を産んだけど、『この子は一生、母親がどれほど苦しんで自分を産んだかなんて分からずに過ごすのか』と、ちょっと悔しかった」。これまた、「私もよ」とか、「なるほど、ほんとね、そういうことなのよね~」と、同意する声がにぎやかに。
私も「男の子ですよ」と告げられた瞬間、「ということは、この子は日一日と私から離れていくんだ、そのうち母親をうるさく思うようになって、彼女でもできたら私の出番はいよいよなくなるのよね(p_-)」と、言い様もない寂しさを感じた。でも、ま、そんなのは杞憂で、それからしばらくはそんな寂しさを味わう暇がないくらい、子どもと一緒に過ごす日々だったのだけれど。
よく、赤ちゃんを産んだ母親がバラ色の幸福感に包まれているように描かれることがあるが、それはおそらくドラマの中だけのことなのではないかしら? 現実はちょっと違うようだ。それほど産みの苦しみはすさまじいということだし、その瞬間から育児の忙しさが始まるのだし。
母子クラブで母親同士のおしゃべりが尽きず、盛り上がったのにはわけがある。それは、「同じ痛み苦しみを経験し、今も同じ忙しさを味わっている者同士」だったから。だから前述のような本音が飛び交ったので。出産して母となること、日々変化していく子どもという生き物の世話をして、自分の予定など立てられない、立てていても潰される。ある時期には、ゆっくり食事すらできない、トイレもまともに行けない数年間を過ごすということは、経験した者同士でないと分からない共感がある。
「そんなオーバーな」とちらりとでも思ったそこのあなた、一度経験してみなさい(笑)。私の友人は、いつもドアを閉めずにトイレを済ませていたそうですよ^^。痛みを説明したり、また人の痛みを理解したりするのは難しい。いやそれは、同種の痛みを経験した者同士でも軽重があり、完全に理解などできないのだと思う。
ただ、できないながらも、近づくことはできる。それは自分が痛みを負ったり苦しんだりした経験があり、そこから推し量ることだ。前回も書いたが、長男の出産時、義父が、陣痛にうめく私を眺めていた。帰宅して義母に、「あれほど痛いものなのか?」と尋ねたそうだ。義母は、かつて義父が経験した虫垂炎の痛みを思い出させ、「あんなものじゃないのよ」と教えた。義父は絶句したという。
義父は、当然のことながら陣痛は経験することはできないが(笑)、自分が虫垂炎で受けた非常な痛みや苦しみを思い起こし、想像を働かせることによって、嫁の私の苦しみに思いを馳せることができたのだった。義父母の心配りはありがたいことだった。けれども、それでもなお、人間同士、他者の痛みをすべて理解することはできない。
「究極の苦しみ」を十字架上で経験されたイエス様に、痛み苦しみがどれほどのものだったのか、もし尋ねることができるなら、イエス様はどうお答えになるだろう? 「あなたがこれまで経験してきた痛み、苦しみがあるかもしれない。でも、十字架の苦しみは『あんなものではないのだよ』。しかもそれはあなたのためだった」
私たちは自分のために、また子を産むために、仕方なく苦しむ。もし誰かのために、人の子どもを出産するためにあの苦しみを課せられるなら、理不尽で耐え難いことだ。少なくとも私にはできない。イエス様が神のひとり子としての立場を捨てられ、ご生涯で、十字架上でこうむってくださった痛み・苦しみは想像できる範疇になく、私たちはただただ黙し、ひれ伏し、感謝する、それ以外にはないのだと思う。また、ひとり子イエス様をこの世に送り、苦しみに渡され、お見捨てになった父なる神は、どれほどの痛み悲しみを味わわれたことだろうか。敵対する者のために。
最初に書いたように、二男の息子Bが親知らずを抜歯し、かなり痛みを覚えている。それを目の当たりにしながら、母親である私は同じ痛みを味わうことはできないが、できる範囲で痛みを少しでも軽減してやりたいと、あれこれ手を尽くす。見捨てることなどできない。親としていろいろ思いめぐらしていくうちに、天の父が、イエス様が、どれほどの犠牲を私のために払ってくださったのかがわずかに分かり、言葉を失うしかないのだ。
ところで27年前・・・。長男がお腹にできたと報告したら、牧師夫人から、おめでとうの言葉とともに、「陣痛はたいへんだけど、産まれたら嘘のように楽になるからね~」と慰めてくださった。そして、7カ月後に私は出産。夫人は、産院まで大判のタオル地マットをお祝いに持ってきてくださった。白地にかわいい男の子のアップリケが施され、周囲は青いチェック柄で丁寧に縁取られている。
生まれたのが男だとはっきり分かってから、急いで作られたに違いない。赤ちゃんをくるんだり、外出時にその上でおむつ替えをしたり寝かしたりするのにとても重宝した。すでにアップリケは色あせ、タオル地にはシミがついているが、息子たちのへその緒や産着とともに、いまだに大切にとってある。
恵子夫人、その節は、ありがとうございました。
(文・しらかわひろこ)