神様は霊です
神様が、同時にどこにでもいることができるというのは、神様が体を持っていない霊なる存在だからです。霊というとなんだか分かりにくく、幽霊か何かのようなものと想像するかも知れませんね。私は幽霊を見たことがありませんから、何とも申し上げられませんが、そもそも見えるのは、本当は霊ではないのです。目には見えませんが、その働きが見えるのです。先ほど空気のことをお話しましたが、空気も目には見えません。しかし、空気が動くと、風になります。風が吹くと、確かに空気が動いていることが分かり、空気というものがあるのだと分かります。大風が吹いて、電線がピューピュー鳴ると、本当にものすごい勢いで空気が流れているのが分かります。空の雲が流れるのも、やはり空気の流れです。電気もやはり見えません。見えるのは、電気の働きだけです。電灯が光るのは、電気そのものではなく、電気が光を出すように働いているからですし、熱になれば、ヒーターを暖めることもできます。遠くから声や映像を送ることさえできますが、それも電気の働きであって、電気そのものではありません。
先ほど「愛」は見えないけれども、愛の働きは見えるとも言いました。お母さんがお料理をしてくれるのは、お母さんがみなさんを愛していることの証拠なのですね。神様もそのようであって、目には見えません。しかし、いろいろに働いてくださいます。時には光となって私たちを照らし、時には熱となって私たちを暖めてくれる電気と同じなのです。
神様は目に見えません。目に見える神様は私たちが想像して作ったものでしかなく、本当の神様ではないのです。これを偶像と言います。神様は人間が考えて作りだした偶像はお嫌いになります。それはにせの神様だからです。聖書を読んでいて、心が温かくなったりすれば、それは間違いなく霊なる神様の働きなのです。悩んでいるときに、突然聖書の言葉が浮かんだりすれば、それも偶然ではなくて霊である神様が教えてくださっているのです。難しい聖書の言葉を分かるように教えてくださり、神様を信じられるようにしてくださるのも霊なる神様の働きです。霊なる神様は、私たちのそばにいつもいてくださって、私たちを守り、導いてくださっているのです。空気は目に見えませんが、実は、ほかの何よりも近くにあるのです。お母さんがいくらそばにいてくれても、空気の方がもっと近くにあります。それと同じで、神様も霊ですから、実はお父さんやお母さんよりも、誰よりも近くにいてくださるのです。空気を吸い込めば肺の中まで入ってきますが、霊なる神様も私たちの心に入ってくださいます。
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浜島敏(はまじま・びん)
1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。