ウィクリフが今の教会は聖書と違っていると教え、聖書に書かれているような正しい生活を勧めてから約100年後、ドイツでその同じ考えを述べた人がいました。ルターという田舎生まれの人でしたが、とても救いということを真剣に考えた人でした。大学で勉強していた時、森の中ですぐ近くに雷が落ち、ルターは修道院に入る決心をしました。修道院というのは、一般の人とは離れて生活し、神様のことだけを考えて、神様に一生をささげ、聖い生活をしようと願う人たちが集まって、一緒に祈ったり、勉強したりする場所です。そこで生活するのは、大変なことです。食事もわずかしか食べず、その上、時々断食をするなど、厳しい修行が待っているのです。ルターは一生懸命に修行に励みましたが、なかなか心に平安がなく、救われたと思えませんでした。そして、いくらみんなから見れば正しい立派な生活をしているようでも、それだけでは救われないのだと分かって悩んでいました。ところがある時、聖書を読んでいて、人間は「立派な行い」をして救われるのではなくて、イエス様を「信じる」だけで救われるということが分かったのです。ですから、ルターは、ますます聖書を勉強しました。そして、ウィクリフのように、今の教会は聖書から離れてしまっているので、聖書に戻らなければいけませんと伝えました。特に当時、お金をたくさん寄付した人が天国に行けるというふうに教えている人がいましたので、それに反対しました。でも、これはとても危険なことで、とても勇気の要ることでした。偉い人に殺されるかもしれません。ルターは裁判にもかけられました。しかし、ルターははっきり「私の信じているのは聖書です」と伝えました。偉い先生に反対した後ですから、帰り道はとても危険です。しかし、ルターの言うことこそ本当だと思っている仲間の人たちに助けられて、ヴァルトブルク城にかくまわれました。そこにいる間に、ルターは新約聖書をドイツ語に翻訳しました。
ドイツ人のグーテンベルクという人がルターの生まれる60年ほど前に印刷術を発明していましたので、手書きではない印刷した聖書ができるようになりました。ですから、一冊書くのに何カ月もかかっていたのに、一度に何千冊という聖書ができることになりました。それで聖書は、読みたいという人の手に届くことになりました。このルターの働きを「宗教改革」と言っていますが、それはイエス様の時代のように聖書第一の生活をしましょうという運動でした。
ルターのドイツ語の聖書はみんなに読まれ、さらに近くの国々でもドイツと同じように聖書が翻訳されることになったのです。この運動によってできたのがプロテスタントという教会です。
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浜島敏(はまじま・びん)
1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。