マルティン・ルターとちょうど同じころ、イギリスでもルターと同じ考えの人がいました。ジョン・ウィクリフもそうだったのですが、それからもう100年以上経っていました。今度の人は、ウィリアム・ティンダル(1494~1536)といいます。ティンダルはルターの教えを、その通りだと思うようになりました。そして、オックスフォード大学やケンブリッジ大学で勉強をして、聖書の言葉であるギリシャ語やヘブル語を学びました。ある時、教会の先生たちが、聖書などどうでもよいと言っているのを聞いて、「いつか、私は聖書を翻訳してみせます」と言い切りました。ティンダルは語学の天才といわれるほど、素晴らしい才能を見せ、これらの言葉を身につけました。初めは、イギリスで聖書を英語に翻訳しようと思いましたが、反対が多すぎてとても無理であることが分かりました。そこで、ルターのいるドイツに行くことに決めました。
そして、ドイツでとうとう印刷を始めましたが、大変です、反対している人に見つかってしまいました。ティンダルは1枚でも印刷したものを無駄にしたくなかったので、できたての聖書(まだ本になっていませんので、ばらばらの紙)を持って、別の町まで逃げて、ようやくそこで無事に印刷しました。でも、英語ですから読んでほしい人は海の向こうのイギリスにいます。仕方なくティンダルは、オランダ人などの船員に頼んでロンドンまで内緒で届けてもらいました。残念ながら正式なルートで送ることはできませんでしたので、小麦袋などに詰め込んで、隠して送りました。たくさんの人たちがこのティンダルの翻訳した英語の新約聖書を買って読み、神様のことを信じるようになりました。実は、買う人も命がけでした。英語の聖書を持っていることが警察に見つかったら、もちろん取り上げられますが、そればかりではありません。国に黙って聖書を買ったというだけの理由で、死刑になることもあったのです。ですから、見つからないように大事に隠しておき、誰もいない夜にそっと読んだりしていました。
ティンダルは次に旧約聖書も翻訳し始めました。最初の部分だけは出版しましたが、残りの部分を翻訳している途中で、警察に捕まえられてしまいました。そしてベルギーの牢屋に入れられ、寒い冬の間、風邪に悩まされていましたが、そんな苦しいことよりも、何よりももっと聖書をイギリスの人たちに読んでもらいたい一心で、牢屋の中でもヘブル語の聖書と辞書を使って翻訳を進めようとしていました。しかし、とうとう裁判にかけられ、死刑が宣告され、広場のみんなの見ている前で殺されました。ティンダルは最後に大声を振り絞って「神様、イギリス王の目を開いてください」とお祈りしました。王様が早く聖書が大切であることに気がついて、イギリス人が自由に聖書を読めるようにと願ったのでした。そのお祈りに神様はすぐ応えてくださって、その3年後には、王様の命令によってイギリスの教会には英語の聖書を備えることが義務付けられたのです。
このようにして、それから100年も経たないうちに、ヨーロッパのほとんどの言葉に聖書は翻訳されたのです。
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浜島敏(はまじま・びん)
1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。