祝福を受け継ぐために召された(Ⅰペテロ3:9)
日本の経営者の関心事は事業承継だといわれます。承継がうまくいかなければ、事業が立ち行かなくなる可能性もあるのです。同じように信仰者の信仰承継は大切な課題だと思います。
これはある和尚さんの言葉ですが、「自分の人生において信心のある生き方を達成できて50パーセント、子どもに引き継ぐことができて100パーセント往生できる」そうです。
日本の歴史を振り返ると、日本人は文化や技術の承継を巧みに行ってきたといえるのではないかと思います。京都の清水寺本殿と舞台は400年前に築かれた木造建築ですが、800年維持できるといわれます。今、丁度分岐点にあたるのですが、清水寺は400年後に向けた活動を始めているそうです。京都の山林に檜を植林し、改築に備えようとしているそうです。今日、明日のことだけではなく、100年後、200年後に目を向けたビジョンのある活動をしなければと思います。
伊勢神宮では式年遷宮が20年ごとに行われ、すべての建物、金属の飾り、調度品などすべてが一新されます。これは常に若々しい状態を保つという意味があるそうですが、もう一つの重要な意味は技術承継だそうです。宮大工、調度品の職人などを育成し、技術を受け継いでいくためには20年がちょうどよい区切りだといわれます。
これはある方が自分の母親を思い出して語られたことです。農家の嫁であった母親は朝早くから夕方まで農作業し、「家に帰って晩御飯をつくる余力もない」と嘆きながらいつも家路についていたそうです。ところが、道端にコスモスの花が咲いていると、花を摘み、離れた土手に撒くのだそうです。「一年後にここにもコスモスが咲いてくるのを楽しみにしながら働くんだよ」と息子に語り掛けたそうです。
大きな夢を持ち、事業に挑んできたけれども、あまり成果が期待できなかったと意気消沈している事業者や、精一杯頑張ったつもりだったが、あまり教勢が伸びなかったと落ち込む牧会者は少なくないのかもしれません。
しかし、あなたの夢は100年後に活かされるかもしれません。また、この地上で評価されなくても、父なる神は分かっていてくださることを思えば慰められます。自分の撒いた福音の種がいつかは開花するかもしれないことを楽しみにしながら、今、与えられている状況の中で精一杯生きることが求められています。
「涙とともに種を撒く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る」(詩篇126:5、6)
これは長崎県の五島列島出身の神父さんに聞いた話です。ある村の教会堂は雨漏りがしていたのですが、なかなか修理できない状態でした。その村出身の若者がマグロ漁の遠洋航海を終えて帰ってきたそうです。教会の現状を聞いた若者は、その航海で得た収入のすべてをささげ、雨漏りしていた箇所は修理されたということでした。このような事例は珍しいことではないと話されます。江戸時代の厳しい迫害下に信仰を受け継いできた人々は本気でささげるというのです。
明治、大正、昭和の信仰の先駆者たちの働きのおかげで、日本の社会にキリスト教は大きな影響を与えています。結婚式でも葬式でも「いつくしみ深きイエス」が歌われるのはなぜですかと言う人がいます。明治の先人がメロディーを文部省唱歌に組み込んだからだと思います。今、先駆者たちのまいた種の収穫の時なのです。
今すぐにはキリスト教宣教において大躍進とか爆発的ヒットは起きないかもしれませんが、福音の種をまき続け、祝福を受け継ぐために召されていることを忘れてはいけないと思います。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブル11:1)
◇
穂森幸一(ほもり・こういち)
1973年、大阪聖書学院卒業。75年から96年まで鹿児島キリストの教会牧師。88年から鹿児島県内のホテル、結婚式場でチャペル結婚式の司式に従事する。2007年、株式会社カナルファを設立。09年には鹿児島県知事より、「花と音楽に包まれて故人を送り出すキリスト教葬儀の企画、施工」というテーマにより経営革新計画の承認を受ける。著書に『備えてくださる神さま』(1975年、いのちのことば社)、『よりよい夫婦関係を築くために―聖書に学ぶ結婚カウンセリング』(2002年、イーグレープ)。