東回りのキリスト教『景教』(2002年、イーグレープ刊)の出版を記念して「景教の源流を探る西安5日間の旅」と題し2003年3月にツアー実施、2004年3月と2006年11月には「景教の源流を探る北京・西安・フフホト(内モンゴル)唐代キリスト教の遺跡巡り5日間」を多くの参加者と共に感慨深い旅ができ、また多くの遺跡史料に接することができました。2012年8月はイーグレープ創立10周年記念企画として「景教の源流 南インド福音宣教地を訪ねて 使徒トマス遺跡ツアー」を実施、計4回の企画により多くの史料が与えられ、2014年にはそれらをまとめて一冊の本・新装版『景教』となりました。実に感謝の一言です。
私は25年ほど前に大秦景教流行中国碑の拓本に接した時から願ったことが三つありました。一つは景教の多くの遺跡や資料に接すること、二つは景教碑を建てること、三つ目は景教資料館を建てることでした。この実現に向けて各地で景教セミナーをしてきました。
願った第一の念願が数年後に実現し、二つ目の念願も2014年にかない感動を得ました。そして第三の願いもかなうことと信じています。これらのツアーは単なる旅ではなく、唐代や元代のキリスト者たちの足跡と証しを知ることで、それは生きておられる神様の働きを知ることで、昔も今も将来も神様は生きて働かれる歴史の支配者であることをさらに体験することができます。つまり温故知神(過去を訪ね神の働きを新たに知る)です。これらを通して宣教の一端を担わせていただくことを祈りました。
さて第1回目のツアーで、西安の碑林博物館に行きました。多くの人と多くの石碑群に圧倒されました。日本語が堪能で大変親切な西安市公認ガイドの女性が何も知らない私たちを丁寧に引率し話してくれました。ガイドは私たちが景教碑を見に来たことを知って、唐代の歴史、人物、文化を詳しく話してくれました。百聞は一見に如かずで、現地で学ぶ大切さと喜びを体験しました。
碑林博物館の中に入ると奥の部屋の第22室に景教碑が置かれてありました。それを見るなり待ちに待った碑を見て感慨無量となりました。カメラのシャッター音が鳴り響き、碑の前で並んで撮影する人たちがひときわ目立ちました。ところが景教碑を見学に来た観光客には欧米人も多く、洋の東西を問わず人気であることが分かりました。奥の部屋に入ると拓本売り場があり値下げ交渉をして景教碑の拓本を1袋6千円で購入しました。その光景は日本と違う異文化体験でした。
さてガイドは興味深い説明をしてくれました。一つは碑の下部の動物が日本では亀とか亀台と言っていますが、中国では亀文化がないので上部に彫られた龍の九番目の子のビシと言ってくださいと言われ、そのように改訂するようにしました。
二つは唐代に書かれた碑や文章の中の「民」の字には一画が欠けているということでした。その理由は唐代を創立した皇帝が李世民でその名称の「民」を恐れ多いとして国民にそのように命じたということでした。碑林博物館の中のある碑の中に「民」字に一画ないのがあり、それを示しながら説明したのを忘れることができません。それを覚えていたことから景教資料の「大秦景教宣元本経」の中に一画欠けた「民」があります。そのことにより内容鑑定を除いてほぼ唐代の作と言えます。
日本の多くの方が国内外の遺跡を見学するケースがありますが、やはり現地で知識ある方に聞くことは正しい知識を得るということを学びました。(それは神と神の国のことを知るためには神のもとから来られた方・神の子イエス様に直接聴くことが重要であるのと似ています。)
一行は毎晩ホテルの部屋に集まり、景教セミナーを開き、参加者の自己紹介やキリスト者になった証しをする機会を持ちました。そこに現地の家の教会の信徒を招き、救いの証しや中国の教会事情を知る機会を持ち、相互に祈り合う時を持ちました。
西安での中国の香りは何か古代をにおわせるかのようでツアー実施を主なる神様に感謝しました。
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川口一彦(かわぐち・かずひこ)
1951年、三重県松阪市に生まれる。現在、愛知福音キリスト教会牧師。日本景教研究会代表、国際景教研究会(本部、韓国水原)日本代表。基督教教育学博士。愛知書写書道教育学院院長(21歳で師範取得、同年・中日書道展特選)として書も教えている。書道団体の東海聖句書道会会員、同・以文会監事。各地で景教セミナーや漢字で聖書を解き明かすセミナーを開催。
著書に 『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年)、『仏教からクリスチャンへ』『一から始める筆ペン練習帳』(共にイーグレープ発行)、『漢字と聖書と福音』『景教のたどった道』(韓国語版)ほかがある。最近は聖句書展や拓本展も開催。
【外部リンク】HP::景教(東周りのキリスト教)