再来(再臨)信仰の違い
空海信仰の中にも再来の教えがありますが、どう違うのでしょうか?
イエスの復活と昇天と再来
イエスは金曜日に十字架で殺され、墓に葬られ、大きな石で入り口が封印され、しかし日曜朝に死から復活し、40日間多くの弟子たちに現れ、目に見える姿で雲に包まれて天に帰ったと、目撃者や新約聖書は伝えています。
さらに目撃者は「地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです」(マタイ24:30)とイエスの言葉を伝えました。この言葉から、再来のイエスを見る者たちは一民族やキリスト者だけの限定ではなく、あらゆる種族でそれは地球的規模とのことです。
さらに目撃者は「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」(使徒1:11)と伝えました。
空海の死(入定)と再来
一方で、空海は死ぬ前に次のように遺言しました。「私は目を閉じてから兜率天(とそつてん)に昇り、弥勒菩薩の前に行く。そこで雲間から地上を垣間見、弟子たちの様子を見る。そして56億7千万年後に、私は弥勒と共に地上に帰ってくる。私の入滅の跡を見よ。よく勤める者を天に救い、不信者は不幸を見るであろう」
この再来説は、とてつもない時間がかかり、空海信者だけに語った限定的なもので、弥勒菩薩が絡んでおり、空海一人では戻ってこないとのことです。
ではなぜ密教に再来説があるのかです。空海はどこから再来説を適用したのでしょうか。それは弥勒に関係しています。弥勒とはどんな仏なのかです。
弥勒は慈愛の仏、慈氏とも呼ばれ、大乗経典の一つ『弥勒(六部)経』には下生経、上生経など、人が地から浄土に上り、上から地に下る教えがあり、中国では2世紀ごろから弥勒諸経典が漢訳され、4~5世紀の南北朝時代に弥勒信仰は最高に達し、日本では飛鳥時代に天智天皇が上生信仰を持ち、平安時代の末法思想と共に流行しました。いわゆる仏教的メシアニズムといえます。
もう一つ、空海は弥勒浄土の兜率天は心の中にあるとも考え、大日如来と慈悲の弥勒仏が一体であるなら、空海自身も一体であると考え、三者一体如来観を持ちました。それはインド出身の善無畏(637~735)が訳した『慈氏菩薩略修愈誐念誦法』2巻の「慈氏大日同一体」の文に出合ったことによるのでしょう。しかし地上に再来してから何に取り組むかは伝えられていません。
また空海には、聖書が言う死からの復活や昇天も携挙もなく、最後の審判や新天新地の創造などは教えていません。
1世紀のキリスト者は、再臨に備え、再臨の教えはキリスト教会と聖書の重要教理となりました。西方教会の使徒信条の「かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん」(8世紀ごろ成立)や東方正教会の二ケヤ信条「栄光のうちに再び来られる」(325年成立)にも述べられています。景教の東方教会も二ケヤ信条のすべてを承認していました。
古代の東西キリスト者はメシアの可視的再臨を信じ、信条を礼拝でも唱え日常化していましたから、西北インドにおいて仏教徒が取り入れていったと考えます。
復活と昇天と再来とその後の働きについては、主イエス以外はあり得ず、彼は復活したゆえに骨も墓もなく、仏教徒のような遺骨崇拝もなく、高野山奥の院で今も生きていると言われている空海に毎朝食事を配膳する必要もなく、やがて地上に信者を迎えるためと、世界を裁くために栄光の姿で来ると約束しました。
キリスト者は内に生きて働く聖霊と共に「主よ、来てください」と祈り続けています。
※ 参考文献、引用文献
1. 『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
2. 『高野山真言宗檀信徒必携』(1988年、高野山真言宗教学部)
3. 『弥勒経-愛と平和の象徴-』(渡辺照宏著、筑摩書房、1982年)
4. 『未来のほとけ―弥勒経典に聞く』(雲井昭善著、創教出版、1992年)
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川口一彦(かわぐち・かずひこ)
1951年、三重県松阪市に生まれる。現在、愛知福音キリスト教会牧師。日本景教研究会代表、国際景教研究会(本部、韓国水原)日本代表。基督教教育学博士。愛知書写書道教育学院院長(21歳で師範取得、同年・中日書道展特選)として書も教えている。書道団体の東海聖句書道会会員、同・以文会監事。各地で景教セミナーや漢字で聖書を解き明かすセミナーを開催。
著書に 『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年)、『仏教からクリスチャンへ』『一から始める筆ペン練習帳』(共にイーグレープ発行)、『漢字と聖書と福音』『景教のたどった道』(韓国語版)ほかがある。最近は聖句書展や拓本展も開催。
【外部リンク】HP::景教(東周りのキリスト教)