1492年にクリストファー・コロンブスが米国大陸を発見して、たくさんの欧州の人たちが新大陸を目指してやって来ました。それらの土地を自分の土地にしてしまおうとする人たちもいましたが、米国に行けば欧州よりもっと自由に神様を礼拝できるのではないかと思って出掛ける人たちもいました。たくさんの英国人やフランス人が北米に行きましたし、南米にはスペインやポルトガルの人たちが行きました。
これらの地域には、ずっと前から住んでいた人たちがいます。コロンブスはインドに着いたと思っていましたので、その人たちのことをインド人(インディアンとかインディオと言います)と呼んでしまいましたが、本当はインド人ではなくて、ずっと昔アジアから渡って来た人たちだったのです。彼らは、広い土地に別れ別れに長い間住んでいましたので、彼ら独特の言葉を持って話していました。
米国に欧州から移住が始まって、この先住の人たちにも神様のことを伝えなければいけないと考える人たちも現れました。その一人がジョン・エリオットです。彼は、英国の生まれでしたが、彼らにイエス様の話を伝えるために、米国に渡りました。その原住民が、白人に無理やり働かされたり、またいろいろな差別を受けたりするのを見て、それに反対しました。そして、原住民が本当に安心して住めるように、彼らと一緒になって頑張りました。もちろん、彼が米国に渡ったのは、神様の話を伝えるのが第一の目的でしたから、原住民の言葉の一つであるマサチューセッツ語(アルゴンキン語ともニポマク語とも呼ばれています)に聖書を翻訳し、米国で出版しました。驚いたことに、これが米国で印刷された最初の聖書でした。それまでは、英語も含め、米国で使っていた聖書は、全部欧州で印刷したものを米国まで持って来ていたのでした。英語の聖書が米国で印刷されたのは、もっと100年も後のことです。
18世紀から19世紀(今から200年から300年前)に、欧州や米国からたくさんの宣教師が東洋にイエス様の救いを知らせにやって来ました。インドやミャンマー、タイなどの仏教を信じる人たちのところにもイエス様の話が伝えられました。宣教師たちは一生懸命にその土地の言葉を勉強して、聖書を翻訳しました。ウィリアム・ケアリーはインドの言葉に、アドミラム・ジャドソンはミャンマーの言葉に聖書を翻訳しました。カール・ギュツラフはタイの言葉に聖書を翻訳しました。
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浜島敏(はまじま・びん)
1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。