ヒエロニムスが聖書を翻訳したころは、ラテン語はそのまま理解し、話している人もいるにはいたのですが、実際に日常ではラテン語は次第に使われなくなっており、その代わりにドイツ語とか、フランス語、イタリア語、スペイン語、英語などの言葉をみんなが使うようになりました。ラテン語はほんの少しの学者とか教会の先生たちにしか分からない言葉になってしまっていました。一般の人は教会に行っても、ラテン語で行われる礼拝に参加するだけで、あまり意味が分かりませんでした。ちょうど、みなさんがお寺に行くとお坊さんがお経を上げてくれますが、それを聞いているみんなにはあまり意味が分からないのと同じです。調子をつけてお経を唱えていればありがたいと感じるのと似ています。だから、聖書はラテン語があり、教会ではラテン語の聖書が読まれていましたが、結局、聖書の意味までよく分かる人は少なかったのです。
ヒエロニムスからちょうど千年ほど後になると、ラテン語の分かる人はほとんどいなくなってしまいました。また、教会はとても力を持ち、たくさんのお金を持つようになりました。イエス様は、お金のことばかり考えると、神様のことを忘れてしまうので、お金の奴隷になってはいけません(マタイ6:24)と教えておられましたが、このころの教会は、どちらかというとお金もうけに一生懸命でした。また、イエス様を信じるよりも、マリアにお願いするなど、だんだん聖書と違ったことを教えるようになっていました。あまり聖書のことを知らない教会の先生もいたようです。みんなが教会の先生を尊敬していましたが、中にはあまり良くないことを考える先生もいました。教会はだんだん聖書よりもいろいろな儀式をすることを重んじるようになり、聖書を読むよりも、儀式に参加すればそれで救われますと教えるようになっていったのです。一種のおまじないか迷信のようになってしまっていました。
しかし、そんなことに気が付いて、イエス様が教え、聖書に書かれているような正しい信仰を持って、正しく神様を礼拝するようにしましょうと訴えた教会の先生もあちこちにいました。その中でも有名なのが、イギリスのウィクリフでした。彼は、有名なオックスフォード大学で聖書を教える先生でしたが、聖書のことをとても良く勉強していました。そして、聖書を勉強すればするほど、今の教会のやり方はおかしいのではないかと考えるようになりました。そして、正しい信仰に戻るためには、どうしても聖書が理解できなければならないと考えました。教会の中で使われていたラテン語は一般の人たちには訳が分かりませんでした。意味が分からないけれども、ラテン語で「アヴェ・マリア」などの祈りをすることで御利益があると考えられていました。ウィクリフは、それでは迷信と同じだから、聖書の言葉をきちんとみんなが理解し、聖書にしたがった生活をするのが一番正しいのだと考え、英語に聖書を翻訳しました。教会の先生たちは、これに反対しました。みんなが聖書を読むようになったら、自分たちが聖書の教えと違った生活をしていることがばれてしまうからです。でも、ウィクリフはそんなことに構わず、聖書を翻訳した後は、イギリス中を旅して、聖書の教えはこうですから、聖書の教えに従って生活しましょうと教えました。
当時の教会からウィクリフの教えは間違った考えだとされ、大学を追放されてしまいました。亡くなったウィクリフは教会の中に葬られましたが、そのお墓まで掘り起こされ、骨は火で燃やされ、その灰は近くの川に捨てられてしまいました。
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浜島敏(はまじま・びん)
1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。