はじめに
みなさんは、今までにきっと一度は手紙を書いたことがあるでしょう。私たちは、自分の気持ちを分かってもらうために、一生懸命にお話をします。直接お話しすることはとても大切なことですが、残念ながら話した言葉はすぐ消えてしまいます。いつの間にか、大切だと思った言葉でも、うろ覚えで正確でなかったり、また自分が言った言葉さえ忘れてしまったりすることがあります。誰かとなにかを一緒にしようと約束しても、そんなことから、悪気はないのに約束をすっぽかしてしまって、一番大切な友達を怒らせてしまったり、それ以後信用されなくなってしまうことだってあります。ところが、手紙に書いておけば、いつだってそれを開いて確認することができます。ですから、大切にしたいことは、手紙に書いておいた方が安心です。
手紙には、いろいろのことを書きますが、その人の気持ちを良くあらわしているといわれます。私たちは、人にも言えない気持ちを日記に書いたりしますが、日記というものは隠しておくものであって、もともと他人に知ってもらうために書くものではありません。それに対し、日記と違って、手紙は自分の気持ちを何とか相手に通じさせるために書くものです。ですから、手紙には絶対に相手がいますし、自分の一番に言いたいことを書くのが手紙だといっていいと思います。みなさんが、将来、小説だとか詩のような文学を書いた人だとか、あるいは政治家や哲学者などの偉人に興味を持って、その人のことを研究するようになったとします。そのとき、その人が一体どんなことを考えていたのか知るために、その人の書いた手紙を読んで、研究することがあります。そのくらい手紙というのは大切なものです。
みなさんが遠い場所に引っ越して行かなければならなくなったときなどには、そこから家族や愛する人たちに手紙を書いて、うれしいこと、悲しいことなど、自分の気持ちを知らせるでしょう。旅行しても、旅行先から家族に手紙を書くかも知れません。ひょっとしたら、みなさんは、携帯やパソコンでメールを送る方が得意かも知れません。メールも一種の手紙です。また、みなさんも、もう少し大きくなったら、自分の結婚して欲しいと思っている人に手紙を書くようになるかも知れません。ラブレターといいますが、相手の人がどんなに大切で、どんなに好きなのかを言葉の限りをつくして書き、自分の気持ちを伝えようとします。
同じように、実は今から何千年も前に神さまが書いてくださった手紙があるのです。その手紙は、『聖書』といっています。聖書は神さまからの手紙だということは、神さまが相手(私たち)に、一番に言いたいことを書いてくださっている本だということになります。神さまが、人間をどれほど愛してくださっているかが書かれています。さあ、この本を読んで、神さまが私たちに何を伝えたいと思っていらっしゃるのかを知りましょう。神さまが送ってくださったメールには何が書かれているのでしょうか? また、この手紙がどうやって書かれ、またどうやって私たちの手元に届くようになったのかもお話しましょう。
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浜島敏(はまじま・びん)
1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。