聖書というのは特別の本ですので、世界中の人たちが読まなければならないし、また読んでほしい本です。旧約聖書には、ユダヤ人のことが中心に書かれていますが、新約聖書には、イエス・キリストは全世界の人たちのために生まれた方だとはっきり書かれています(ルカ2:10)。イエス様のことはユダヤ人だけでなく、全人類に関係する大切なことなので、世界中の人たちが知る必要があるのです。しかし、全世界の人が読むためには、世界中のいろいろな言葉に聖書が翻訳されなければなりません。旧約聖書はヘブル語で、新約聖書はギリシア語で書かれたと言いました。でも、そのままではヘブル語やギリシア語の分からない私たちには、何のことか分かりません。今私は、この文章を日本語で書いています。みなさんはそれを日本語で読んでいます。しかし、このままではアメリカ人には何のことかさっぱり分かりませんね。ですから、この本をアメリカ人に読んでほしければ英語に翻訳しなければなりません。そうすると、アメリカ人やイギリス人にはよく分かります。英語は今では国際語になっていますから、日本語よりもずっとずっとたくさんの人が読むことができます。でも、英語が分からないフランス人やイタリア人やロシア人、中国人などにはまだ分かりません。それらの言葉にも翻訳することが必要です。世界中にはたくさんの言葉がありますから、神様の言葉はそれらの全部の言葉に翻訳しなければならないことになります。
ヒエロニムスの翻訳(ラテン語)
イエス・キリストの教え(キリスト教)が弟子たちによってヨーロッパを中心に伝えられました。そのころヨーロッパのほぼ全体とアジアやアフリカの一部まで含むとても大きな国ができました。中心は今のイタリアのローマでしたので、この国はローマ帝国と呼ばれました。イタリアはもちろん、今のドイツもフランスも海を越えたイギリスまでそのローマ帝国の一部になりましたし、聖書の書かれたアジアであるユダヤもまたアフリカのエジプトも含む実に大きな国でした。そこでは国際語であるギリシア語が使える人たちもいましたが、一般の人たちはそれぞれその土地の違った言葉を話していました。
しかし、ローマ帝国はローマの言葉であったラテン語をヨーロッパ全土に広めました。だから、ラテン語に聖書を翻訳しておけば、ヨーロッパなどのローマ帝国の人たちには通じると思ったのです。もちろん、当時は実際に文字が書けたり読めたりする人の数は非常に少なく、ラテン語に翻訳しても、まだ理解できない人たちもたくさんいるにはいたのですが、一応教育を受けた人たちには、ラテン語の聖書だったらヨーロッパ中で通用するだろうと考えました。
聖書をラテン語に翻訳するのは、ずいぶん昔からあったようですが、一番有名なのはヒエロニムスという人が翻訳したものです。ヒエロニムスは、とても頭は良く、勉強も好きでしたが、本当の神様からは遠く離れていました。あるとき、天使が現れ、「お前は神様のことより、他のことばかり勉強して夢中になっているので、クリスチャンではない」と告げました。ヒエロニムスは、それを聞いてびっくりし、神様に従う決心をし、ローマに行って、聖書の言葉を勉強するようになりました。そして、教会の偉い人から優れた能力を買われて、「ラテン語の聖書の翻訳がいろいろあって、どれが良いかみんな迷っているから、お前が正しい翻訳を作りなさい」と命令されました。
ヒエロニムスは、ギリシア語はよく分かりましたが、旧約聖書が書かれたヘブル語はまだあまり良く知りませんでした。それで、聖書を翻訳するためには、イスラエルに行って、まずヘブル語を直接勉強するのが一番良いと思い、イスラエルに行きました。そこで、ヘブル語を学び、ヘブル語がよく分かるようになると、ベツレヘムにあるイエス様が生まれた洞窟(イエス様の生まれた家畜小屋は丘の斜面を掘った洞窟だったようです)の上に建っている聖誕教会のすぐ隣の洞穴にこもり、そこで、数人の人たちと一緒に生活し、聖書をとうとうラテン語に翻訳しました。その翻訳はとても良くできており、またとても分かりやすい翻訳でしたので、ウルガタ(大衆訳)と呼ばれるようになり、みんなの聖書になりました。この聖書は、ローマの聖書として、今の西ヨーロッパの全土に広がり、広く読まれることになりました。特に、カトリック教会は、これが一番大切な聖書だと考えるようになりました。そして、原文であるヘブル語やギリシア語の聖書は読まなくても良いというようにさえなりました。そういうことがしばらく続いたので、ヒエロニムスは4世紀の人ですが、それから約千年後のヨーロッパでは、聖書を教える専門の学者でも、原文ではなくてヒエロニムスの翻訳したラテン語の聖書から教えていました。
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浜島敏(はまじま・びん)
1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。