聖書を正しく伝えた人たち
昔は、今のように本は印刷できませんでした。ですから、みんな手で書いたのです。大変ですね。今は本屋さんに行けば何千冊、何万冊という本があって、どれにしようか迷うくらいですが、昔は全部手書きですから、そんなにたくさんの本があったわけではありません。一冊の本を初めから最後まで全部手で写してみようとして、実際にやったとします。一日ではできませんよね。何日もかかります。それが聖書全部ときたらこれは大変です。このためだけに時間を使ったとしても何カ月もかかるに違いありません。休み休みだったら何年もかかるかもしれません。気の遠くなるようなお話です。それでも、聖書が欲しいと思ったら、写すしか方法がなかったのです。
それだけではありません。みんなが本を写すと言っても、長い本ですから、写し間違いをしてしまうこともあります。みなさんが聖書一冊全部写したとしましょう。もとの本のとおり一つも間違いのないように写すというのは大変なことなのです。おそらく無理でしょう。もし、その間違って写したものを次の人が写すとまたどこかが違ってしまいます。そんなわけで、何百年も経つと、モーセさんが書いたものとはかなり違ったものになってしまう恐れがあります。
聖書は神さまが書いてくださった大切な本なのに、もし間違っていたら大変ですね。そこで、やがて聖書を写すことを専門にする学者が生まれ、絶対に間違えないように注意に注意を重ねて写しました。写し終わって、前のと比較し、もしどこか間違っていることが分かったら、すぐ直しました。また間違いがいっぱい(1ページに3つ以上)あることが見つかった場合には、新しいものでも捨てることにしていました。間違っている聖書を本物だと思ってみんなが読んだら困るからです。それほど学者たちは神経を使って、間違った聖書が出回らないようにしていました。
聖書の最初の部分はモーセさんが書いたと言われていますが、それは、今から3500年ほど前に書かれたものです。そんなに古いものなのですが、そのように学者たちが正確に伝えてくれましたので、初めにモーセさんが書いて、神さまが承認のハンコを押してくださった元の聖書とほとんど同じものを今でも読むことができるのです。そのように、聖書を守ってくれた人たちに感謝をしましょう。
でも、聖書があると困る人たちもいました。不思議に思うかも知れませんね。だって、聖書は世界で一番大切な本ですし、みんなに関係のある本だから、大切にしなければならないと思うでしょうが、中にはそれがいやな人もいました。聖書は私たちの心を写す鏡のようですので、これを見ると、自分のみにくいことが分かってしまいます。ニキビがいっぱいついている自分の顔など鏡で見たくないと思う人がいるかも知れません。だから、鏡など嫌いだという人がいるかも知れません。でも、考えてみてください。鏡がなかったらニキビはなくなるでしょうか。そんなことはありませんよね。やっぱりあるのです。どうせそうだったら鏡でしっかり見て、クリームをぬるなり、薬を付けるなどして早く直したほうが結局は良いのですね。ちゃんと治療をしておけば、かえって後まであとが残らないですむのです。それと同じなのです。自分の暗いところや、みにくいところを知られたくないので、それを隠そうとする人がいるかも知れません。聖書を読んで、自分のみにくいところが見えたら困ると思っているのでしょう。でもそれで悪いところがなくなるわけではないですから、早く悪いところを見つけて、その始末をした方が良いですよね。聖書が嫌いな人は、その人の心が暗いからだと聖書に書いてあります(ヨハネ3:20)。
中には、なんでも自分勝手にしようと思う人(特に支配者)は、やはり聖書が好きではありませんでした。聖書の教えと違っていることを自分がしていることに、みんなが気づいてしまったら、その人たちを支配しにくくなって困ると思ったのです。おもしろくないものですから、なんとか聖書など、この世になければいいと思ってしまうのです。それで、いろいろな工夫をして、聖書を地上からなくしてしまおうとしました。昔、ローマという国では、皇帝が聖書を集めるだけ集めて、みんなの見ている前で燃やしたりして、この世から消してしまおうとつとめました。けれども、結局聖書はなくなりませんでした。それは、神さまがどうしてもみんなに知って欲しいことを書いていらっしゃる大切な本なので、それを神さまが地上から消えないように守ってくださったからです。神さまが必要だと思って書いてくださったものですから、神さまが責任を持って守ってくださったのです。
日本でも、第二次世界大戦のころ、日本の政治家はキリスト教をとても嫌いました。当時、日本は外国に攻めて行って、そこの国の人を殺したり、その大事な土地を取り上げたりしていましたが、それが、正しくないと言われたら困るからです。また、当時は天皇が神さまだと言っていました。それで、本当の神さまなど拝まないで、天皇を拝みなさいと命令しました。クリスチャンは、そんなことはできませんと言ったため、たくさんのクリスチャンが牢屋に入れられました。中には、牢屋で亡くなった人もいました。でも戦争が終わり、日本でも自由に聖書を読んで、神さまを信じられる時代になりました。
実は、世界の中には、今でもキリスト教を憎み、聖書を禁じている国があります。そんな国にキリスト教を伝えに行こうとする宣教師を捕まえて、追い出したり、悪いときには、殺したりします。また、そんな国に聖書を運んでいる人たちもいますが、見つかると、聖書は全部取り上げられてしまいます。早く、どこの国でも自由に聖書が読めるようになると良いですね。
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浜島敏(はまじま・びん)
1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。