この女性の美しさ、賢明さは、神様ご自身のお墨付きです。
「この人の名はナバルといい、彼の妻の名はアビガイルといった。この女は聡明で美人であったが、夫は頑迷で行状が悪かった。彼はカレブ人であった」(1サムエル25:3)
どうしてこんな男性と結婚したのか疑問に思いますが、アビガイルは、その名(「わが父は歓喜」の意)のごとくに、「愛する」ことを喜び、楽む女性であったのでしょう。
マグダラのマリヤは、「香油のはいった石膏のつぼを持って来て、泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗」(ルカ7:37、38)りました。7つの悪霊は彼女の思いをくらませ、偽りの愛で彼女をもてあそび、身を持ち崩れさせました。けれども、イエス様によって悪の力から解き放たれたとき、彼女は「愛する愛」に生きることにも解き放たれたのです。
「愛する愛」は、イエス様を信じた者全てに与えられています。ところが、「愛する愛」に生きようと意志を働かさなければ、「愛する愛」は、留められてしまうものです。マグダラのマリヤは、「愛する愛」に生きることに挑戦しました。もし彼女が従来から持ち合わせていた愛で、イエス様に近づいたのであるならば、イエス様の後ろにぬかずくことはしなかったでしょう。
イエス様は言われました。「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです」(ルカ7:47)。「よけい」とは、何でしょう。「愛のわざの量」ではなく、「愛する愛に生きる決意の強さ」ではないでしょうか。(続く)
■ 賢い女、賢い妻:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)
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前田基子(まえた・もとこ)
イエス・キリスト緑の牧場教会(東京)で救われ、玉野聖約基督教会(岡山)から献身。生駒聖書学院卒。生駒聖書学院副院長。エリムキリスト教会牧師。ABCラジオ放送「希望の声」・テレホンメッセージ「希望の声」(074・373・3740:ゼロナシ・ミナサン・ミナヨレ)牧師。