「そのころ、ラピドテの妻で女預言者デボラがイスラエルをさばいていた」(士師記4:4)
男をしのぎ従えて、士師として預言者として大いに活躍したデボラでした。“男まさりのデボラ“の印象が強いですが、聖書は「ラピドテの妻で女預言者デボラ」と記しています。
夫である「ラピドテ」の名前は、実は「くすぶる燈心」という意味なのです。“名は体を表す”と言います。恐らくうだつのあがらない男、夫であったのでしょう。しかし、デボラはそんな夫に妻として仕え、家庭をしっかり守ったからこそ、こうした表現が取られたのではないでしょうか。同様なことが、女預言者フルダにも言えます。
「ヒルキヤ、および、王の指名した人々は、女預言者フルダのもとに行った。彼女はハスラの子トクハテの子、装束係シャルムの妻で、エルサレムの第二区に住んでいた」(2歴代誌34:22)
彼女の夫シャルムは、レビ人としての誇りを持って装束係の務めに従事していました。けれども、預言者である妻フルダの方が、脚光を浴びたのは明らかです。フルダは、ヨシヤ王に改革を命じ、行わせました。そうであっても、神は「装束係シャルムの妻」と記させました。
2人に共通していることは、「預言者」であったということです。「神のことばを預かる者」、そこに彼女たちは徹したのです。何はさておき、神のことばを聞き従うことを第一としたのです。
「彼女はエフライムの山地のラマとベテルとの間であるデボラのなつめやしの木の下にいつもすわっていたので、イスラエル人は彼女のところに上って来て、さばきを受けた」(士師記4:5)
賢い女は、「膝」で勝負します。女の腕の力は弱い。しかし、女の腕も神の右の御座には届くのです。“なつめやし”は「勝利」を象徴します。「主の勝利」の確信をつかむまで、賢い女は伸ばした腕を引っ込めません。そして、神のことばを握るや、主の勝利を高らかに宣言し、自らが奮い立つーーデボラはバラクといっしょに戦場にのぼったーーばかりでなく、デボラはバラクを「勇士」(ヘブル11:32)としたのでした。
「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」(ヘブル4:16)
「いつも」大胆に恵みの御座に近づいておられますか。
「いつも」ご自分の生活の場を、神の恵みの御座としておられますか。
「いつも」ご自分に関わる人々を、神の恵みの御座に置いておられますか。
(続く)
■ 賢い女、賢い妻:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)
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前田基子(まえた・もとこ)
イエス・キリスト緑の牧場教会(東京)で救われ、玉野聖約基督教会(岡山)から献身。生駒聖書学院卒。生駒聖書学院副院長。エリムキリスト教会牧師。ABCラジオ放送「希望の声」・テレホンメッセージ「希望の声」(074・373・3740:ゼロナシ・ミナサン・ミナヨレ)牧師。