神様は何でもおできになります
神様にできないことは何一つありません。これを全能といいます。私たちは、力が足りなかったり、能力がなかったりして、できないことが山ほどあります。しかし、神様は何でもおできになるお方です。何でもできるんだったら、「盗みや、嘘つき」もできるでしょうか、という人がいます。全能だったらできるはずですよね。でも、それはなさいません。なぜなら、それは神様の「聖い」という性質に合わないからです。もし、それをしたら神様自身が自己矛盾をしていることになります。自己矛盾という言葉は難しい言葉ですが、自分で、自分は聖いですと言っておきながら聖くないことをしていれば、自分で自分の言っていることと違っていることになってしまって、おかしいですよね。そんなことはあり得ないわけです。もし、私が「私は男です」と言っておりながら、赤ちゃんを産むようなものです。男であるということは、赤ちゃんを産むことはないということなのです。もし、赤ちゃんを産んだら、それだけで男でないことが分かってしまいますね。神様が、自分が聖いと言っておきながら、何でもできるからといって盗みをしたら、それだけで神様が聖くないことが分かってしまいます。ですから、何でもできますが、それは正しいことしかできないということでもあるわけです。
神様は何でもご存じです
神様は知らないことが何もないのです。これを全知といいます。私たち人間は何でも知っているということはありません。知らないことがいっぱいあります。これから百年先に何が起こるのか、もちろん分かりません。百年先どころか、これから一分先さえどうなるのかも分かりません。それが分かっていたら、火事になったり地震が起こったりする前に逃げておけばいいし、事故に巻き込まれることもないでしょう。しかし、私たちには未来は分かりません。時々、占いをする人がいますが、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」といい、本当は分からないのです。占いをする人に、もし当たらなかったら罰金を取るといったら、そんなことはやめてくれと言うに違いありません。商売になりません。人間は、未来をなんとかして少しでも知りたいために、その心理をうまく利用してもうけているのが占いです。
もちろん、未来のことばかりではありません。現在のことも分かりません。それどころか、自分のことすら本当はよく分かっていないのです。おや、今、肺にガンができてしまった、というようなことが分かったら、ガンで死ぬようなことはないでしょうが、そんなことは分かりません。調べてもらってやっとそのことに気づくわけです。ところが、神様はなんでもご存じです。聖書には「おまえの髪の毛の数」まで知っているとおっしゃっています。自分の髪の毛の数を数えた人はまずないと思いますので、知っている人はおりませんが、神様は全世界の人、一人ひとりの髪の毛の数まで全部ご存じなのです。すごいと思いませんか。私たちのことを私たちよりも良く知っているのが神様なのです。
神様は同時にどこにでもおられます
私は、旅行が好きです。でも同時に2カ所とか3カ所にいることはできません。アメリカに行っているときには、日本には当然おりません。日本にいればイギリスにはおりません。私たち人間は、体を持っているため、体は1カ所にしかいられないからなのです。ところが、神様は、同時にどこにでもいることがおできになります。フランスで「神様」と助けを求めている人がおり、同じ時にインドで「神様ありがとう」と感謝する人がいたら、神様は同時にその両方にいて、その声を聞いてくださるのです。これを、難しい言葉では遍在といいます。
やはり、神様の遍在とはちょっと違いますが、たとえば電波にたとえてみましょう。電波は目に見えませんが、どこにでも飛んでいて、もしそれを捕まえるアンテナさえあれば、同時にどこででも捕まえることができます。だから、北海道でも九州でも同じテレビ番組を同時に見ることができるのです。神様の遍在を完全には説明できませんが、ちょっと似たところがあるでしょうか。
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浜島敏(はまじま・びん)
1937年、愛知県に生まれる。明治学院大学、同大学院修了。1968年4月、四国学院大学赴任。2004年3月同大学定年退職。現在、四国学院大学名誉教授。専攻は英語学、聖書翻訳研究。1974、5年には、英国内外聖書協会、大英図書館など、1995、6年にはロンドン大学、ヘブライ大学などにおいて資料収集と研究。2006年、日本聖書協会より、聖書事業功労者受賞。2014年7~9月、ロンドン日本語教会短期奉仕。神学博士。なお、聖書収集家として(現在約800点所蔵)、過去数回にわたり聖書展示会を行う。国際ギデオン協会会員。日本景教研究会会員。聖書の歴史、聖書翻訳に関する著書・翻訳書、論文多数。