ユダヤ人は教育熱心
まず「ユダヤ人は教育熱心」であることです。この点は日本人も負けないと思います。では彼らの教育熱心とは、一体どのようなものでしょうか。そのルーツはトーラーにあります。いわゆる「タルムード」に見るユダヤ民族5千年の知恵です。ユダヤ人は幼い頃からユダヤ教の教義を学びます。「タルムード」とは、この旧訳聖書のモーセ五書をユダヤ教の教師(ラビ)が解説したものを集大成したいわゆる解説書です。分かりやすく言うならば、日本には百科事典があります。大体A4版サイズで7センチか8センチぐらいの厚さです。この百科事典が何と54巻もあります。そこに高名な賢者と呼ばれる教師が解説した文章がびっしりと書かれています。彼らはそれを、朝から晩まで勉強するわけです。そこには民族の知恵が一杯詰められています。
ユダヤ社会では、教育は学校だけでなく、実は家庭から始まります。聖書の中に出てきますが、「教育係は父親」です。ユダヤ社会では子どもが13歳になる時、成人式(バル・ミツバ)を迎えます。13歳になるまでは父親の責任です。ですから家長は子どもを育てる責任を担います。すなわち、家庭が教育の中心の場と考えられており、核家族です。彼らは子どもの教育は、神から与えられた聖なる義務の中で最も大切なことだと考えています。ですから、父親がトーラーに基づき、子どもに人間として生きる道をタルムードから拾い上げ、子どもたちに教えます。これが家庭で行われる教育です。そこで彼らにとって重要なことは、歴史から学ぶということです。現在の私たちも、歴史から学ぶことの重要性を知っていますが、ユダヤ人の子どもには特に強調されています。例えば、ユダヤ人の子どもたちに必ず教えられる一つのエピソードがあります。
歴史から学ぶ
紀元70年、エルサレムの都はローマ軍によって包囲されました。その時の将軍はティトスでした。やがてローマによって、都は襲撃され城は破壊されます。神殿も炎上してしまいました。市街は破壊されユダヤ人国家は滅び、彼らはディアスポラ(離散)の民となり、全世界に散っていく歴史的運命に入るわけです。ヨハナン・ベン・ザッカイという人は、当時エルサレムに住んでいた非常に名の知れた穏健派の学者でした。彼はエルサレムがローマ軍に囲まれる時点で、「このままいけば敗戦は間違いない」と感じました。そこで彼は「自分たちの子どもたちが生き延びるためには、敵のローマの司令官と交渉するしかない」と考えました。当時エルサレムは小さな都で、城壁に囲まれた町でした。周りはすべてローマ軍によって囲まれ、誰一人城壁の外へ出ることができない状況でした。そこでヨハナンは考え、自分が重い病気にかかっているように振る舞いました。多くの人たちがラビである彼を見舞いに来ました。そしてしばらくして、このラビ・ヨハナンは弟子たちに自分が死んだと言い触らすように命じました。ユダヤ人の墓地は町の外、いわゆる郊外にありました。これは宗教上、そして衛生上の理由から町の中に墓地を置くことが許されなかったためです。その棺にラビ・ヨハナンを入れて弟子たちが担ぎ、そして町の外に連れ出しました。もちろん墓に葬る許可ももらいました。暗くなってから城壁の外へひそかにこの棺を運びました。外に出たラビ・ヨハナンは自分が入れられた棺のふたを開けて出てきました。
そこで彼は何をしたかというと、ローマ軍の陣地まで歩いて行き、そして司令官に面会を求めました。その時の司令官が先ほど言いましたティトス将軍でした。エルサレムは当時ローマの支配下に置かれていたので、ティトス将軍に会うことはローマ皇帝に対する礼を尽くすことでした。ティトス将軍が非常に驚くと、ラビは「将軍は程なくローマ皇帝になられます」と言いました。ラビの言葉はティトス将軍にとって耳当たりが非常に良かったのです。ラビ・ヨハナンはここで他のことはすべて置いて、「ただ一つだけお願いがあります。ユダヤ人のために小さな学校を一つだけ残してほしい」と懇願しました。それも「10人の学生が入るだけの一部屋で良い」と言いました。この10人がみそです。ユダヤ教では男性が10人入ったら、礼拝ができる一つの場所として認められます。9人では駄目なのです。現在もイスラエルのホテルには必ず礼拝堂(シナゴーグ)があります。10人男性が入ればそこは礼拝できる場となります。「10人入る部屋を一部屋で良いから残してくれ」と言うと、ティトス将軍はこれを承諾しました。やがて戦争が終わり、ユダヤ王国は滅亡しました。
西暦79年、ティトス将軍は、その後ローマ皇帝に昇格しました。その時に彼はラビ・ヨハナンとの約束を覚えていて、地中海に面したヤッファ港の南にある小さな町、ヤブネという所に学校を造る許可を与えました。すなわちユダヤ教のタルムードやトーラーを専門に勉強する学校(イェシバ)を造ることを許可しました。そこで選ばれた10人が、トーラー、タルムードに関するいろいろな事柄を日夜勉強しました。「学問こそが祖国である」と彼は言いましたが、国が滅びる時に征服者に学校を一つだけ残すことを願ったというのは、まさしくユダヤ人らしいと思います。ユダヤ人は何よりも学びを尊重したことを示していると思います。最近でもユダヤ人が引っ越したり、場所を替えたりする時は、「子どものためにどこが一番良い教育を与えてくれるか」を第一に考えるといわれます。彼らは確かに教育に熱心でした。
■ キリストの人材教育: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)
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黒田禎一郎(くろだ・ていいちろう)
1946年、台湾・台北市生まれ。70年、ドイツ・デュッセルドルフ医科大学病院留学。トリア大学精神衛生学部、ヴィーダネスト聖書学校卒業。75年、旧ソ連・東欧宣教開始。76年、ドイツ・デュッセルドルフ日本語キリスト教会初代牧師就任。81年、帰国「ミッション・宣教の声」設立。84年、グレイス外語学院設立。87年、堺インターナショナル・バイブル・チャーチ設立、ミニスター。90年、JEEQ(株式会社日欧交流研究所)所長。聖書を基盤に、欧州情報・世界 情報、企業講演等。98年、インターナショナル・バイブル・チャーチ(大阪北浜)設立、活動開始。01年、韓日ワールドカップ宣教GOOL2002親善大使として活躍。著書に『世界の日時計』(Ⅰ~Ⅲ)、『無から有を生み出す神』『新しい人生』『愛される弟子』『神のマスタープランの行くへ』『ヒズブレッシング』、韓国語版『聖書と21世紀の秘密』、中国語版『神の聖書的ご計画』他訳書あり。