教訓三
試練・苦難に遭った時に、それを試練・苦難だけで終わらせるのではなく、どのように良いことに変えていけるかが重要である。
聖書のⅠコリント10章13節に、「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません」とある。そのように、この世の多くの試練・苦難は、例え誰も経験したことがないのではないかと思われるようなことであっても、それはどこかで、また誰かが、すでに経験しているものなのである。
今回の大津波のような、一度に家も、財産も、仕事も、肉親たちも全部失うというような大きな試練・苦難は、全く想定外のことであって、日本人の誰も経験したことがないものであるように思われる。しかし、世界に目を向けるなら、津波によって同じような試練・苦難に遭われた方は、インド洋沿岸の諸国に多くおられる。また聖書にも、ヨブという人が同じような試練・苦難を受けたことが記されている。彼は自分の子どもたち全員を大風という自然災害によって一瞬のうちに失い、また所有していたすべての家畜とほとんどの従者を、敵の攻撃と災害によって失うという経験をした。
従って、どのような大きな試練・苦難も、すでにそれは人によって経験されたものであり、人が経験したことのないような試練・苦難はほとんどないということである。言い換えれば、人はどのような試練・苦難をも何とか乗り越えてきたということであろう。ただそこで問題なのは、そのような試練・苦難に遭ったときに、それを試練・苦難だけで終わらせるのではなく、どのように良いことに変えていけるのか、ということである。多くの場合、試練・苦難は、ただそれを乗り越えることだけに終わってしまい、人の心の内に多くの傷を残すという結果になることが多いように思う。しかし、試練・苦難をむしろ良いことに変えていくことができるなら、その試練・苦難は決して無駄ではなく、むしろ幸いであると言うこともできよう。
もちろんそれは簡単なことではないし、絶対に確実という方法も存在しない。また震災で大きな被害に遭われ、苦しんでおられるような方々に、その試練・苦難をどのように良いことに変えていけるかなどと、外部から軽々に言うことはできないとも思う。しかし私はそのことを承知の上で、試練・苦難を良いことに変えていけるかが重要であると、敢えて言いたい。それは、そのことがとても大切と思うからであり、またそのことに対する貴重なヒントが、聖書を通してすでに私たちに与えられているからでもある。
聖書のローマ書8章28節には、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」とあり、試練・苦難をも益と変えてくださる全能なる神がおられることが記されている。私たちはそのことを、非常に厳しい試練・苦難を経験した、前述のヨブという人を通して見ることができる。
ヨブは試練・苦難を経験した時、すでに神に出会っており、神から多くの祝福をいただいていた。聖書のヨブ記1章1〜3節に「ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。彼には七人の息子と三人の娘が生まれた。彼は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、それに非常に多くのしもべを持っていた。それでこの人は東の人々の中で一番の富豪であった」とある通りである。にもかかわらず彼は、自分が経験した試練・苦難に関して、神と論争を行ったのである。しかし彼は、自己の高慢さを思い知らされ、最終的には悔い改めて、神に無条件降伏をした。そのことは聖書のヨブ記42章2〜6節に、次のように書かれている。「あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。さあ聞け。わたしが語る。わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ。私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています」。
ヨブは神に無条件降伏を行った時、全能なる神と本当の意味で出会うことができた。そして自分の理解力をはるかに超える神への、全面的な服従を表明した。神はそのことを大いに喜ばれ、ヨブが試練・苦難を受ける前に与えられていた祝福に優るものを、彼に新たに与えられたのである。聖書のヨブ記42章10節に「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた。主はヨブの所有物もすべて二倍に増された」とあり、またヨブ記42章12節に「主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された」とある通りである。このようにヨブは非常に厳しい試練・苦難を通して、神は試練・苦難をも益と変えてくださるお方であることを経験したのである。ただこの益とは、必ずしも物質的に富むということを意味しない。むしろそれは、神が自分の人生に深くかかわって下さっているという心の平安や神と共に歩むという喜びが与えられることであり、また神から霊的な祝福を与えられることでもある。物質的に富むということは、あくまでもその祝福の結果に過ぎない。
このヨブの経験は、神は御自身を信じ御自身に従う者を、見えざる御手によって守って下さり、歩むべき方向を示してくださるということ、またそれによって試練・苦難をむしろ良いことに変えていけるということを示している。それはまた、試練・苦難に遭った時に、それを良いことに変えていけるかどうかは、心のありようと深くかかわっていることをも示している。
試練・苦難に遭った時に、そのような中にあっても、自分は神の見えざる御手によって守られていると思えること、またそれを乗り越えるための知恵を神より与えられること、さらに物質的富ではなく人生の確かな土台を与える真の富(霊的な富、永遠の富)に目を留めることなどを経験し、神にあって試練・苦難を良いことに変えていける方は、本当に幸いである。この点からも、神に基盤を置き、このお方に目をとめ、このお方を信頼し、どんなに時間がかかってもあきらめずに、試練・苦難を良いことに変えていく人が多く起こされることを心から望みたい。
以上、私自身が大震災から学ばされた、三つの基本的な教訓について述べた。私自身今後の人生の中で、これらの基本的な教訓を生かしていきたいと思う。また被害に遭われた方々や日本の多くの方々が、この大震災が与えた教訓を自分の人生の中で生かしていかれることを、切に願う者である。与えられた教訓を生かしていく人と、それらに目を留めることなく、昔と同じ生活様式を続けていく人とでは、その後の人生に大きな差ができてくることは必至と思われるからである。特に3番目の試練・苦難に関する教訓は、仕事をする上でも大きな違いを生むものであることを覚えたい。なぜなら、ビジネスの世界においては、試練・苦難に遭うことが大変多いと思われるからである。
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(参考並びに引用資料)
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門谷晥一(かどたに・かんいち)
1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)。