(4)試練・苦難をどう乗り越えたか
前回述べたビジネスマン生活において出会った数々の試練・苦難を、私はどう乗り越えたか。一言で言うなら、信仰が大変助けになった。ただただ神の特別恩恵が私の上にあった故であるとも言える。
ここでは、前回述べた試練・苦難の一つ一つを、神の特別恩恵によってどう乗り越えたかをお分かちしたい。神の特別恩恵は、信仰者の内に宿る聖霊の働きとして具体的に現れる。従ってここでは、試練・苦難の一つ一つにおいて、聖霊がどう働かれたかを体験的に述べることにしたい。このことが、キリスト者のビジネスマンの方々にとって何らかの参考になれば幸いである。
なかなか解決できないこと
聖霊は、仕事を本来の姿に回復させる。この働きによって、私は仕事の本来の目的(礼拝、奉仕、管理)と祝福とに目を留めるように徐々に導かれた。そのことが、なかなか解決できないという試練・苦難にも耐える力を与えてくれた。
また、聖書の言葉によって仕事を神の御旨に沿って行うように導くという聖霊の働きを通して、なかなか解決できないという試練・苦難に出会った時、御言葉によって大いに励まされ、それを乗り越えることができた。特に創世記3:17~19「あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得・・・」と、ローマ書5:3~5「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」は、いつも変わらず私の傍らにあって、この試練・苦難の時に常に私を励まし支えてくれた。これらの御言葉を通して、罪を犯したアダムとエバの子孫である私は、本来苦しんで食を得なければならない存在、また顔に汗を流して糧を得なければならない存在である、だから働くことに苦しさがあるのは当たり前であるとの思いが与えられた。しかしそれ以上に、救われた私は患難さえも喜ぶことができ、希望を持つことができる存在である、そしてその希望は決して失望に終わることはない、だからどんな時も希望を持って歩んでいこうとの思いが与えられ、苦しい中にあっても心の底にはいつも御霊にある平安があった。このローマ書の御言葉によって、将来への展望や天の御国への希望を持つことができ、いくら失敗しても決してあきらめず、徹底的に考えていく勇気が与えられ、研究開発を長期にわたって継続することができた。そして感謝なことは、そのような研究開発の過程を通して、私自身が喜んで働く者へと徐々に変えられていったことである。
さらに、霊的洞察力(霊的直感力)を与えることによって仕事を導くという聖霊の働きによって、本質的なことを見極める力が養われた。また賜物を与えて仕事を導かれるという聖霊の働きによって、オリジナルな新商品コンセプトや創造的なアイデアを生み出すための賜物が必要に応じて与えられた。絶体絶命と思えるような時、不思議に上から良い解決法へのアイデアが与えられ、助けられたことが幾度となくある。このような力や賜物によってもこの試練・苦難を乗り越えることができた。
人間関係
聖書の言葉によって仕事を神の御旨に沿って行うように導くという聖霊の働きを通して、人間関係における試練・苦難に出会った時、御言葉に励まされ、それを乗り切ることができた。例えば、部下との人間関係においては、マタイ20:28「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためである」の御言葉に倣い、仕えるリーダーシップが持てるように、また人を支配したくなる思いから解放されるように心掛けた。また上司との人間関係においては、意見が合わない時や、上司が年下の時や、上司が理不尽な時などに、上司に従えないと思うことが多くあった。しかし、ローマ13:1「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです」によって、上司に従うことができるように導かれ、良い人間関係を維持することができたことも感謝であった。さらに、社外の人たちとの人間関係においては、ピリピ2:3「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」によって良好な関係を持つよう導かれたことも幸いであった。
仕事を通して魂に人格の実を形成させるという聖霊の働きは、職場において良き人間関係を構築するためには極めて重要である。仕事の場においては、影響力や仕える(聖書的)リーダーシップが重要であり、そのためには人格の実を形成させることが不可欠だからである。その人格の実とは、ガラテヤ5:22、23「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」と記されているものである。この人格の実を形成するためには、聖霊に満たされることが必要であるが、私は自分の聖霊の満たしの点検を、この人格の実によって行うよう努めた。すなわち少しずつでも自分の内に人格の実がなっていっているかどうかを常に意識し、それによって自分の霊的な状態を判断するよう心掛けた。部下の評価においては、私情を一切捨てさせてください、結果は公平な評価になっているでしょうかといつも主に祈り求め、また会議や部下の方々との関係をセル的な雰囲気で行うように努めたが、そのような影響力を常に発揮できるよう、人格の実が少しずつでも自分の内に結ばれることを祈り求めた。その結果として、会社を退職する送別会の時、多くの部下の方が、私の下では働きやすかったと言ってくれたことはとてもうれしく、感謝なことであった。
既婚者の場合、配偶者との良好な関係は、職場での人間関係における試練・苦難を乗り越えさせる大きな力となる。仕事の場での人間関係に悩む時、配偶者によって慰められ、また励まされることは、ストレス低減の非常に有効な方法でもある。私も妻の助言によって人間関係による試練・苦難から脱出できたことが幾度となくあった。
肉体的な疲れ
肉体的にかなり疲れを覚える時には、休みを取るよう心掛けた。しかし、休みが取れないような状況も多くあった。そのような時には、心の持ちようが非常に重要となる。聖霊は、仕事を本来の姿に回復させるが、私はこの聖霊の働きを通して、仕事の本来の目的(礼拝、奉仕、管理)と祝福とに目を留めるように導かれ、仕事の場に召されているとの使命感を持つようになった。そしてまた、仕事が喜びとなるようにも徐々に変えられた。そのような使命感や喜びを持つことによって、肉体的な疲れという試練・苦難を乗り越えることができた。
また、聖日礼拝へ欠かさず出席することによって、聖日ごとに霊的にリフレッシュされることも、肉体の疲れを癒やすことに大いに貢献した。肉体を休めることが疲れを癒やすために必要と考え、聖日礼拝を欠席して休息を取られる方もおられると思う。しかし、それはかえって逆効果である。肉体的な疲れという試練・苦難を乗り越えるために、聖日には礼拝出席を優先させ、その後で休息を取ることをあえて勧めたい。
将来への不安、エンドレス感
聖霊は、仕事のみならず生き方をも本来の姿に回復させる。この聖霊の働きによって、私は神と共に永遠に生きるという希望を持つ者へと変えられた。このことによって、自分の将来はどうなっていくのかという不安から解放された。
また霊的洞察力(霊的直観力)を与えることによって労働を導くという聖霊の働きを通して、目に見えないものを見える形に捉えていく力が養われた。またその聖霊の働きを通して、ビジョン、成功へのイメージ、ロードマップなどを描く力も養われた。これらの力によって、私はエンドレス感から解放されることを多く経験できた。
不平等感、不当な評価などの思い
このような思いが強くなった時には、その思いを神の前に差し出し、不平等や不当な評価が事実なのか、あるいは自分の思い込みによるものなのかを見極めるよう心掛けた。それは自分自身のことに関する場合も、また自分の部下のことに関する場合も同じである。
聖霊には、人間の良心を敏感にし、仕事における不正・不義の誘惑から私たちを守り、正しい方向に導かれるという働きがある。この聖霊の働きによって、事実として不平等や不当な評価などがあると思われる場合には、第三者による客観的な判断や意見を求め、それらをも参考にしつつ、恐れずに意見を述べ、不平等や不当な評価などを正すように導かれた。そのことを感謝している。
しかし多くの場合、自分が平等に扱われていないという思い、あるいは不当に扱われているという思いは、自分を中心に物事を判断するという自己中心性や虚栄などの罪の思いから生じること、また相手の立場に立って物事を見ることができなくなっていることから来る。聖霊は、魂に人格の実を結ばせるので、聖霊により頼む時に、自分の思いが神から離れているということや、自分が自己中心の思いに捉われているということ、さらに自分が人格の実を結ばせることとは逆の方向に進んでいるということを認識させられる。そして不平等感や不当な評価などの思いを見つめ直すように導かれる。私もそのように導かれて、この試練・苦難を乗り越えることができたことが幾度かあった。
自分の力で解決できないと思えること
聖霊は、仕事を本来の姿に回復させる。この聖霊の働きによって、私は仕事の本来の目的(礼拝、奉仕、管理)と祝福とに目を留めるように徐々に導かれた。このことが、自分の力で解決できないと思えることによってもたらされる試練・苦難を乗り越える際の拠り所となった。それは、自分の力では解決できなくても、神が自分をそのような状況に置かれている以上、そこには必ず神の目的と自己の果たすべき使命があり、神による助けや解決が与えられるとの思いを持つということである。そのような思いを持つことによって、その困難な状況を乗り切ることができたことが幾度となくあった。
理不尽と思えること
聖霊には、人間の良心を敏感にし、仕事における不正・不義の誘惑から私たちを守り、正しい方向に導かれるという働きがある。この聖霊の働きによって、自分自身のことに関するだけでなく部下のことに関しても、客観的に明らかに理不尽と思えることに対しては、それを是正するための意見を恐れずに言えるよう、徐々に導かれた。
また仕事を本来の姿に回復させるという聖霊の働きによって、仕事の本来の目的(礼拝、奉仕、管理)と祝福とに目を留めるように導かれ、そのことによって、例え理不尽と思えるようなことがあったとしても、それが余りひどいものでない場合、それに捉われない自由も徐々に与えられた。
しかし、どうしても主観的な思いに捉われ、自分が理不尽な扱いを受けているとの思いから抜け出せなくなるような時には、魂に人格の実を結ばせるという聖霊の働きによって、捉われていた理不尽との思いを見つめ直すように導かれ、徐々にその思いから解放された。これらのことを通して、理不尽という試練・苦難を乗り越えることができた。
過剰なノルマと思えること
聖霊は、人間の良心を敏感にし、仕事における不正・不義の誘惑から私たちを守り、正しい方向に導かれる。この聖霊の働きによって、自分の能力をかなり越えると思うような過剰なノルマ(課題)を課せられた場合には、それを正す意見を恐れずに言うように導かれた。
また聖霊は、仕事を本来の姿に回復させる。この聖霊の働きによって、仕事の本来の目的(礼拝、奉仕、管理)と祝福とに目を留めるように徐々に導かれ、また働くことが喜びとなるようにも徐々に変えられた。これらのことを通して、ある程度の過剰なノルマであれば、それを嫌と思わず、前向きに取り組むことによって、それを乗り越えることができた。
さらに、霊的洞察力(霊的直観力)を与えることによって仕事を導くという聖霊の働きによって、物事を複雑から簡潔・明快に統合する力が養われた。また賜物を与えて仕事を導かれるという聖霊の働きを通して、オリジナルな新商品コンセプトや創造的なアイデアを生み出す賜物も必要に応じて与えられた。これらの力や賜物によって、仕事を効率的に進めることができるようになり、過剰なノルマという試練・苦難を乗り越えることができた。
以上、聖霊の働き(助け)により、前回述べた試練・苦難の一つ一つをどう乗り越えることができたかを紹介した。それはただ神の特別恩恵によるものであった。今改めてそのことを神に感謝している。
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(参考並びに引用資料)
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門谷晥一(かどたに・かんいち)
1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)