(2012年)10月14日と15日にZホールを会場に、奥州市民劇「~後藤寿庵物語~木漏れ日のように」が上演されました。この劇をたくさんの方が観られたと思います。
あいにくその日は両日とも仕事と重なってしまい、私はこの劇を観ることができませんでした。ただ実際に観てきた方から感想を聞かせていただいたり、新聞記事を読んだりして、劇が大変盛況だったことが分かりました。その後、この劇の脚本が発売されたので、すぐに購入して読んでみました。
脚本を読んでみてまず驚かされたのは、主人公の後藤寿庵にせりふが一つもないということです。読んでいくと「寿庵、大きくうなずく」「寿庵、適宜うなずく」「寿庵、笑ってうなずく」などと記されてあり、無言の寿庵が、いろんなうなずき方をしていたことが分かりました。
一番の見所はやはり、寿庵が福原を去っていく場面でしょうか。その場面にはこのように記されてありました。
「寿庵、一礼をして行きかける。幸、袖をつかむ。それを寿庵はまた一礼して手ではずし、もう一度大きく礼をして去る。ミサは続いている」
福原の天主堂で最後のクリスマス・ミサが開かれる中、涙ながらにすがる石母田大膳の妻・幸の手をふりほどき、礼儀正しく去っていく寿庵の毅然とした姿がそこには記されてありました。実際に観ていなくても、その場面を想像するだけで心に迫るものがあります。
劇は胆沢の大地に水がやってきて、農民たちが大喜びする場面から始まります。その後回想が始まり、寿庵と伊達政宗との出会い、福原に来るまでの経緯、農民たちと一緒の開拓作業、迫りつつある迫害の危機、そして福原からの逃亡・・・。後藤寿庵の人物像が実に生き生きとした文章で描かれていました。
それにしても脚本、演出、出演者から大道具や衣装、コーラスに至るまで全部市民による手作りです。400年前のこの先人について、よくまあこれほどまでも取り組んだものです。そちらの方に私は感動しました。水沢は不思議な町だ、とつくづく思いました。
石母田大膳の妻・幸が語った次のせりふが心に残ります。
「あの方には無欲に人のために尽くす志がおありなのです。それは愛に満ちあふれて温かく、まるで木漏れ日のようにまぶしく感じられるのです」
この地域と人々はかつて無条件に愛されました。その時の遺産は今でも、人々の心を潤し続けているように思います。
(『みずさわ便り』第91号・2012年11月11日より転載・一部編集)
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若井和生(わかい・かずお)
1968年、山形県生まれ。1992年より国立フィリピン大学アジアセンターに留学し、日比関係の歴史について調査する。現在、岩手県の水沢聖書バプテスト教会牧師。「3・11いわて教会ネットワーク」の一員として、被災地支援の働きを継続中。妻、8歳の息子と3人家族。