息子がこの(2013年)4月から小学生になり、ランドセルを背負いながら元気に通学する日々が始まりました。ここまで成長してくれたことをうれしく思う一方で、宿題と時間割に拘束される日々が始まり、なんだかかわいそうな気持ちにもなってしまうのでした。
そんなことを感じていたある日、花巻のキリスト者・斎藤宗次郎の日記『二荊自叙伝』を読んでいて、とても励まされる文章と出会いました。以下のような文章です。
自然は陰に人間の歩むべき道を示している。即ち天然を透して神は語り給うのである。故に人間も亦時間割を作って之に依って起臥寝食勉学活動を執るべきではない。信仰に依って神の導き給うまゝに進むべきものである。厳格なる規則生活は時間の制裁を受くる恐れがある。事業の画策は空間に制馭せらるゝ患いがある。共に信仰者の執るべき途ではない。
宗次郎の日記を読んでいてすぐに気付かされるのは、彼が自然をとても愛していたということです。特に夜空に星を眺めることが大好きだったようで、星空のあまりの美しさ深遠さに、この世の事を忘れてしまうほどでした。
稼業の新聞取次業の合間に、イチゴやトマトの栽培に励み、土や植物に深い関心を寄せた人でもありました。新聞配達をしながら空の美しさに打たれ、四季折々の風景を楽しみ、そこに神の偉大さを感じては感謝し賛美し祈る姿が日記の中にたくさん記されてあります。さらに時々は登山や旅行を楽しみ、目にする自然の美しさを丁寧に書き記す人でした。
宗次郎は自然の美しさをただ楽しむだけではなく、その中に神の啓示をしっかりと受け止める人だったようです。そして人間の作り出したリズムによってではなく、天地万物の創造主が造り出したリズムによって生きようとしました。
斎藤宗次郎が実際の時間にルーズだったわけではありません。夜10時に床に就き、早朝の3時に起きる規則正しい生活を毎日続けました。日記の記述にも時間がよく記されていて、宗次郎の几帳面さがよく表されています。それなのに、実に自由にのびのびと生活している様が感じられるのです。
小学校に通い始めた息子は、前を向くことを教えられているようです。朝礼では校長先生を見、教室では担任の先生と黒板を見、前を向くことの大切さをしっかり教えられています。
前を向きながら生きることが大切であることは言うまでもありません。でももっと大切なことがあると思います。天を仰ぎつつ、地を見つめながら生きること。そのような生き方を今後、親子で目指していきたいと思っています。
(『みずさわ便り』第97号・2013年5月12日より転載・一部編集)
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若井和生(わかい・かずお)
1968年、山形県生まれ。1992年より国立フィリピン大学アジアセンターに留学し、日比関係の歴史について調査する。現在、岩手県の水沢聖書バプテスト教会牧師。「3・11いわて教会ネットワーク」の一員として、被災地支援の働きを継続中。妻、8歳の息子と3人家族。