第3日目(現地時間:5月20日水曜日)
今朝は宿舎のナザレをたち、まずはイエス様が最初の奇跡を起こされたカナへ。以前は、ナザレの北北東6キロのケフル・ケンナがカナと考えられていたそうですが、現在はナザレの北14キロのキルベト・カーナの遺跡であると主張する人が多いそうです。カナは婚礼に招かれたイエス様が水をぶどう酒に変えたカナの婚宴の地(ヨハネ2:1~12)として有名です。また、カペナウムの役人に対して息子の癒やしを宣言された場所でもあります。また、キリストの十二弟子の一人のナタナエルの出身地でもありました。
ナザレからは坂を下って車で30分くらいの距離。そこにはカナの婚礼教会が二つあります。一つはカトリック・フランチェスコ修道会によるもので、もう一つはギリシャ正教会のものです。私たちは前者にお邪魔しました。途中ナタナエル教会もありますが、閉まっていて入れませんでした。ガイドさんによると、開いているのを見たことがないそうです。ここでは今でも世界中から結婚式を挙げたり、また夫婦が結婚の更新式をやったりするために多くの人たちが集っています。カナは、現在はアラブ人の町となっています。
私たちも3組のご夫妻が願い出て、結婚更新式を行いました。みな結婚30年以上の大ベテラン。しかし新たな思いで天国まで添い遂げようと誓うと、本人たちもそうですが、見守っていた私たちまでもらい泣き・・・。いやはや思わぬ恵みのひと時でした。
その後ガリラヤに下り、キブツの村にある湖畔の遊覧船に乗りました。ガリラヤ湖周辺は、イエス様が多くの働きをなさった場所。ベツサイダ、ゲネサレ、マクダラ、カペナウム、テベリヤ、そしてデカポリスやピリポカイザリヤ。イエス様の活動の半分以上はこのガリラヤ湖周辺で行われました。イエス様は弟子を集められた時、まず漁師だったペトロとアンデレ、ヨハネとヤコブの兄弟をここで呼ばれました(マタイ4:18~22、マルコ1:16~20)。またマタイ5章から始まる山上の垂訓は、ガリラヤ湖を見下ろすこの丘の上で行われました。また多くの奇跡もこの湖で起こされました。湖の上を歩く奇跡、嵐を鎮める奇跡、大量の魚が捕れる奇跡など。
ガリラヤ湖は霞ヶ浦ほどの広さ、北はヘルモン山から流れ来るヨルダン川によって水を受け、南はヨルダン川によって死海に水を流す湖です。ここは海抜マイナス213メートルにもなる特殊な地形です。ガリラヤ湖は、周囲が53キロ、南北に21キロ、東西に13キロ、166平方キロの面積を持つ湖です。最大の深度は43メートルあります。この湖の名前は昔からたくさんあり、聖書にも記録されています。ガリラヤ湖という名前は湖がガリラヤ地方にあることから付けられていますが、そのほかによく見るのがテベリヤ湖という呼び名。さらには伝統的にガリラヤの海や、ただ海と呼ばれることもあります。そして、ルカによる福音書5章1節にはゲネサレ湖という呼び名がありますが、これはこの湖の形が竪琴に似ていることから、竪琴を意味するキノルという言葉に由来しているといわれています。ゲネサレは湖の西側にある平原地帯の名でもありました。旧約聖書にもガリラヤ湖は出てきますが、民数記34章11節やヨシュア記13章27節にはキネレテの海・キネレテ湖とも記されています。
ガリラヤ湖周辺は古代の昔から、エジプトとヨーロッパを結ぶマリス街道が通っていたので、その周辺にはギリシャ人やローマ人たちが造った町々が点在していたようです。ユダヤの歴史家ヨセフスは「この地域では自然の造形の素晴らしさに心打たれずにはおれない」と言って、湖ではいつも200隻以上の舟が活動するほど漁が盛んだったと伝えています。今でもこの湖では、漁業が行われているそうです。最近はバナナの栽培も盛んで、いくつかの農園も見えました。
遊覧船は陽気な係員によって日の丸が掲げられ、いざ出帆です。ガリラヤ湖は穏やかで、ほとんど波が立っていません。春もやが立って遠くまでは見通せませんでしたが、うっすらとゴラン高原も見え、風もとても爽やかで気持ちがよかったです。しかしこの湖も、いったん風が吹き始めると、聖書にもあるように暴れ始めます。北にあるヘルモン山から吹き下ろされるヘルモンおろしは、2800メートルもあるヘルモン山から一気に海抜マイナス200メートルの湖に吹き下ろします。それは突風のような勢いのある激風であると考えられます。漁夫でこの湖を知り尽くしていたペテロたちでさえどうしようもない恐れを抱くほどだったのです(マルコ4:35~41)。でも今は想像もできない穏やかさです。船では係員によるフォークダンスや様々な楽しいパフォーマンスが繰り広げられ、旅行気分を高めてくれます。最後には、きっちりおみやげの売り込みやチップのお願いがありました。ここは観光で成り立っている場所でもあります。
船を降りて、キブツの運営する売店で買い物をしました。ここは免罪店となっていて、私はかねてから欲しかった角笛(ショーファー)を買い求めました。日本でも通販で買えなくもないのですが、いかんせん状態が分からず、70センチのガゼル(鹿)の角のもので3万8000円と値が張ります。また短くても雄羊の角のものが欲しかったので、イスラエルで購入しようと思っていました。情報では、エルサレム旧市街のマーケットでは安価だと聞いて見てみたのですが、値段も安くなく状態も良いのがありませんでした。そんな中で、ここガリラヤ湖の免税店で売っているものが状態も良く、そこにいた店員のお兄さんに一つ一つ吹いてもらい、自分だったらこれを買うというものを選んでもらいました。40センチの牡羊の角で499新シェケル、30%の税金を空港で返してもらえましたから、都合349新シェケル(日本円で1万1000円)ほどで買えました。しかし実際吹いてみると、口が小さいのでなかなか音が出ません。実際その場に年配のオーケストラでラッパを吹いていたというおじさんが来て自慢げに吹き鳴らそうとしましたが、思うような音が出ません。持ち帰り練習していますが、いまだに家族の笑いが止まらないのでやめてほしいと言われる程度・・・。イスラエルでもヨム・キプール(新年の祭り)の前になると、あちこちで練習する音が聞こえるそうです。ユダヤ人だって最初からうまくは吹けないようです。
ここにはイエス様当時の船が特殊な方法で引き揚げられ、展示されている博物館もありました。キブツは学生時代勉強しましたが、農業の共同体です。私有財産はなく、共同で生産、利益も平等分配で、食事も大食堂で一緒にするというところです。イスラエルには270ほどのキブツがあり、人口は13万人、人口比率は3%だそうですが、農業の生産は全国の40%を占めるほどの成功のようです。ただキブツは思ったよりすべてオープンで、外部に開かれている宿泊施設もあり、私たちが行って買い物もできます。このショップでも気さくに話し掛けてくれて、私が持っていたスマホがまだイスラエルでは発売されてなかったらしく、ひとしきりその話題で盛り上がりました。とても気さくな人たちでした。
その後、イエス様がメッセージをされたとされる丘からほどないところにある山上の垂訓教会を訪問しました。教会の周りでは、世界中から来た多くのクリスチャンたちの群れが礼拝をして聖書のメッセージに耳を傾けていました。ここで有名な8つの祝福のメッセージを語ったとされます(マタイ5、6、7章)。この辺りには穏やかな丘が多く、当時は音響のシステムもなく、イエス様は地形を利用して多くの群衆に話されたとされています。ここでイエス様が群衆に語られた神の国の教えを読み返していると、心が聖霊に燃やされ熱くなりました。
さらに近くのタブハという村に下り、パンと魚の奇跡の教会、さらに聖ペテロ首位権教会(召命教会)を回りました。奇跡教会では、イエス様のなされた、信じられないような奇跡、ピタパンのような丸いパン(もしくはせんべいのような硬いパン)を半分に分け、また次の人が分けるとどんどん増えていった5千人の給食、4千人の給食(マルコ6、8章)・・・想像するだけでワクワクしてきます。その場にいた人々の感動が伝わってくるようでした。
また聖ペテロ首位権教会(召命教会)では、ペテロがイエス様に「天の御国のかぎを上げます」と言われたとされる箇所(マタイ16:18、19)、また復活のイエス様がペテロに「わたしの羊を飼いなさい」と言われる箇所(ヨハ21:15~17)などがエピソードとして記念された教会(フランチェスコ修道会管理)です。
教会の裏では、ガリラヤ湖が広がっていますが、昔に比べるとずいぶん水際が後退していることが分かります。ここ10年でも1メートル以上水面が低下していると聞きました。1964年、イスラエルはガリラヤ湖の周辺に、国立の給水センターを建設して国内の主要な地域に飲料水の供給を行う設備を完成させました。これによって水に困ることがなくなったそうですが、大量の水をくみ上げた結果、水位の低下が止まらず、今日このような状態になっていると聞きました。水際には多くの小魚がいました。ティラピアの幼魚でしょうか。ガリラヤ湖は生きている湖です。
実はこの旅から帰国した後の2015年6月18日、私たちが訪問したパンと魚の奇跡の教会(カトリックベネディクト会によって運営)が放火されたというニュースが入ってきました。過激派ユダヤ人による犯行のようです。実際、イスラエルは宗教的対立なくしては語れない国です。私たちがエルサレム旧市街のアラブ人地区、岩のドーム前にいた時にも、超正統派のユダヤ人が、挑発行為としてアラブ人地区に入ってくるのですが、そこにいたアラブ人が一斉に立ち上がって、大声で威嚇するのを見ました。即座にコーナーごとに立っているマシンガンを持った兵隊が来て、その場を収めました。今まで経験したことのなかったような緊張が走った瞬間でした。
続いて移動し、カペナウムの遺跡を見学しました。カペナウムはイエス様がガリラヤ伝道の拠点とされた場所。ここはペテロの家があったとされます。聖書にはイエス様がここカペナウムに滞在し、その働きをなされた記録があります。ここでイエス様が語られた御言葉の中で、「わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです」(マルコ9:42)と言われた石臼は、ロバの石臼といわれる大きな重いもので、ここカペナウムの産物で輸出品だったといわれています。ここにこのようなものだったと思われるものが展示されています。またこの小さい者と言われ呼び寄せた子どもは、ペテロの家での話だとすると、もしかして、ペテロの子どもであった可能性も大だと思われます。そう考えて想像していると、聖書が粒だって見えてきますね。
ここには当時のシナゴーグ(3世紀ごろ)や住居跡が発見され、展示されています。おそらくイエス様も足を踏み入れたことがある場所だと思われる地を、確かに踏みしめてみました。
ここでガイドから正統派ユダヤ人がいつも身につけている上着の裾から四隅にひもの垂れ下がっている服の説明があり、その深い意味を知りました。超正統派ユダヤ人は頭にキッパという丸い帽子をかぶっていますが、タリートと呼ばれる服(これからひもが出ている)を身に付け、派によっては黒い帽子や服を夏でも身に付けています。タリートには四隅の長い房があり、613の結び目が付いていますが、613とは旧約聖書にある戒めの数です。
タリートのもとになったとされる民数記15章38~40節にはこんな記事があります。「イスラエル人に告げて、彼らが代々にわたり、着物のすその四隅にふさを作り、その隅のふさに青いひもをつけるように言え。そのふさはあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、主のすべての命令を思い起こし、それを行うため、みだらなことをしてきた自分の心と目に従って歩まないようにするため、こうしてあなたがたが、わたしのすべての命令を思い起こして、これを行い、あなたがたの神の聖なるものとなるためである」。タリートを見ることで神の言葉が思い出されるのです。また青い色は、イスラエル国旗のデザインにも使われていますが、古代は高価な染料であり、「あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)との神からのメッセージが込められているのです。
またイエス様の時代、イエス様の衣に触り癒やされた12年の長血の女がいましたが、イエス様が着ていたタリートのふさに触ったものと考えられます。
「すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。『お着物にさわることでもできれば、きっと直る』と心のうちで考えていたからである。イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。『娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。』すると、女はその時から全く直った」(マタイ9章20~22節)
ランチはお決まりのピーターズフィッシュ。日本でいう黒すずめ鯛(ティラピア)という魚ですが、ポテトフライが添えてあるシンプルなもので、魚を食べるのが得意な私は、猫が泣くといわれる状態まで頂きました。美味です(食べた後をお見せしたいのですが、失礼なので遠慮します)。
この魚のエピソードは聖書にいくつか出てきますが、特にこのカペナウムで起きたこの出来事は印象的です。宮の納入金を集めに来た人が、イエス様は納めないのかとペテロに聞きます。イエス様は神の子として父なる神の宮の納入金を納める必要がないことを示されました。しかし徴収者につまずきを与えないために、イエス様はペテロに釣りをするように言われ、その魚の口から二人分の納入金、スタテル一枚が取れたという奇跡が起こりました(マタイ17:24~27)。
その後一気に2時間をかけてエルサレムまで上りました。エルサレムのホテルで着替えを済まし、今回エルサレムに来た目的のエンパワード21エルサレム大会(Jerusalem2015 Empowered21 Global Congress)に参加しました。
新エルサレムに位置する会場「Jerusalem Pais Arena」に、世界中から4千人のペンテコステ信仰を持つ人々が集っています。入場を待っていると、いわゆる超正統派ユダヤ教のユダヤ人たち数名が入り口付近に立ち何かを配っていました。受け取って見てみると、ユダヤ教のビラでした。通報もあるのでしょう、度々私服警察のチェックが入っていてそこから追い出されるのですが、意に介さずまた戻ってきて続けています。いたちごっこのようでした。
しかし肝心な大会は、幕が開くとすべての悪しきものの働きを遮断するかのように、強い聖霊の臨在に満ちています。MCの導きで、まずは大会のビジョンが紹介され、各大陸別に歓迎があり、聖霊派の集会らしく、共に異言で祈る時間が導かれたのですが、4千人が祈る異言の祈りは会場に霊の渦を起こし、ペンテコステの日を彷彿とさせる素晴らしいものでした。賛美チームの力強い賛美が1時間続きます。心から自分を委ねることのできる賛美が流れます。
プリーチャーは、ジョージ・ウッド(George Wood)師とウェイン・ ヒルデン(Wayne Hilsden)師。このミーティングで聖霊の新しい油注ぎを頂きリフレッシュし、自身の仕える場所へと帰っていくようにとのお勧めでした。
世界評議員55名の紹介がありましたが、現在世界のペンテコステ信仰を主導する面々・・・。ニコ師、トム・ヘス師、シンディ・ジェイコブス師、プリンス・グネラトナム師など、日本にも親しみのある牧師たちが登壇し、拍手喝采。欠席していましたが、その中にはボンケ師やビル・ジョンソン師、そして我が李ヨンフン師もいます。
(文・妹尾光樹=純福音成田教会牧師)