第2日目(現地時間:5月19日火曜日)
イエス様の育たれたナザレでイスラエル到着後初めての朝を迎えました。宿は、元はカトリックの修道院で、その後神学校となり、現在は巡礼者などに安く貸し出す宿坊となっている施設です。部屋は決してホテルのようにはいきませんが、清潔で静かで十分な宿です。屋上や中庭があり、屋上は私たちのデボーションの場所となりました。何よりもWiFiが飛んでいるのは感謝でした。施設の中にはチャペルがあり、24時間お祈りができる場所があります。安価で食事もよく、おすすめです。可愛いおばあちゃんシスターがたくさんいます。世界各地からの巡礼者でにぎわっていました。
ナザレはベツレヘムなどから移住してきた人々によってできた村で、イエス様の時代は40世帯にも満たない小さな村だったそうです。その後そこにローマ時代やビザンチン時代、オスマン・トルコ時代やイギリス統治時代など、そして建国後と、建物が増し加えられ発展し、今では人口も8万人に増え(我が成田市とほぼ同じ。親しみを覚えました)、決して小さな町ではなくなりました。イエス様時代の旧ナザレのエリアを高台から見ると、今の10分の1にも満たない感じでしょうか(上の地図参照)。所々に残る洞窟式の家の屋根の部分が遺跡として発掘されていますが、その当時の面影は、表面上は全く見ることができません。後述しますが、私たちは幸いにもマリアセンターで、その玄関先にある当時の家の屋根の部分に当たる場所を(通常は入場禁止)日本人スタッフのご厚意により実際に足で踏み入らせていただきました。とても感動的なひと時でした。ナザレは以前クリスチャンの町と呼ばれていたそうですが、今では町の3割程度になり、朝に夕にイスラム教のアザーンの放送が流れます。それが嫌なクリスチャンは、新ナザレという新興住宅地に集まって暮らしているようです。
今朝はまず、イエス様が突き落とされそうになった、突き落としの崖・断崖の山(Mt Precipice、ルカ4:28~30)に行きました。ルカ4:16からを見ると、イエス様はご自分の育ったナザレに行き、いつもの通り安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれました。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いてこう書いてある所を見つけ、朗読されました。「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために」。そして、「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました」と言われ、イスラエルの不信仰を嘆かれると、人々は憤り、イエス様を丘の崖まで連れていって投げ落とそうとしたとあります。イエス様の故郷であるナザレの町は目の前にあり、反対の方角にはエルサレムが望めます。この後、イエス様は再び故郷を訪ねることはありませんでした。ここでイエス様がどのような思いでこれから起こるであろう出来事を思い、パリサイ人たちと対峙しておられたのか。その丘の上にのぼり、時に強く吹く風がその心情を物語っているようにも思えました。
遠くに士師記のギデオンの場面(7:1)で出てくるモレの丘。モレの山とも呼ばれ、ギルボア山の北東に位置して、小ヘルモン山ともいわれる丘です。高さは518メートルあります。ギデオンは300人の勇士を選んで、モレの山沿いの谷に陣を敷くミデヤンに立ち向かって勝利を収めましたが、その舞台となった場所です。
そして変貌山(マルコ9:2~10)といわれるタボル山が見えます。ガリラヤ湖から見ると南端の西方約20キロの地点にある丸っこくてとても親しみやすい、おわん型の山です。標高は588メートル。ヘルモン山(詩篇89:12)やカルメル山(エレミヤ書46:18)と合わせて、聖書ではなじみのある山です。また士師記でバラクと女預言者デボラが召集した北方6部族の連合軍が、大平原を一望できるこのタボル山上に集結して、シセラの軍隊に勝利した場所でもありました(4:6、12、14)。ゼブルン部族とイッサカル部族の礼拝の山としてモーセが思い描いた山は、おそらくタボル山であろうとも言われています(申命記33:19)。後に預言者ホセアが、この山が偶像礼拝の場になったのを嘆いていることからも(ホセア書5:1)、タボル山がイスラエルにとっては重要な、霊的な場所であったことが分かります。新約聖書ではイエス様の時代、律法の代表者であるモーセと、預言者の代表であるエリヤ、この二人が福音を宣べ伝えるイエス様をこの山で証しします(マルコ9:1~8)。タボル山は、サムエル記にも登場します(変貌山はヘルモン山だという説も有力)。
イエス様の時代、ナザレがどのような姿であったのかほとんど残っていない現状に、YMCAがナザレ・ヴィレッジという当時の姿を復元した施設をつくり、キリスト教の伝道に役立てています。この施設はとてもすばらしいものでした。地元の学生たちも学校単位で、自分たちの故郷の勉強に見学に来るそうです。スタッフは当時の格好で作業をしており、まるで2千年前のナザレに帰ったようでした。まずは展示室で当時の生活の様子をジオラマやレプリカで勉強します。今度は外に出て、羊や山羊を飼っている囲い、墓、ぶどう酒の作業場、さらにオリーブ油の圧搾場、そしてマリアとヨセフがイエス様と共に暮らしたであろう当時の代表的な家を見ました。そこには、当時の服装に身を包んだマリアやヨセフや少年イエスたちがいます。最後にシナゴーグ(ユダヤ人の会堂)の建物に入り、祈りを共にしました。ユダヤ人への伝道の現状や戦いについて、メシアニック・ジューのガイドから直接聞くことができ、ユダヤ人の救いに関する祈りに具体性が生まれるよい時となりました。ここで私たちはこのセンターの働きのために、参加者全員で特別な献金をさせていただきました。
ナザレ・ヴィレッジにはお土産屋さんがあります。来る前から教会の皆さんへのお土産は、からし種をパウチしたしおりを考えていたのですが、ガイドさんの話によると、多くの場合、それはからし種ではなくキダチタバコというよく似た種が入っており、それを知らずに持って帰り、育ててその種を食べた人が中毒を起こしたことがあると聞き、急きょ変更して御言葉の美しいしおりとしました。もちろんMade in Israelを確認しました。ハワイでTシャツのお土産を買って、帰ったらメイド・イン・チャイナだったという話が頭をよぎりましたので。
その後、宿泊している宿の隣にあるマリアの家(洞窟)があったとされる場所に立つ、マリア受胎告知教会を訪ねました。ここはマリアが住み、天使ガブリエルによって、聖霊によって子を宿すと告げられたとされる場所です(ルカ1:26~38)。さらに聖ヨセフ教会を見学しました。ここもマリア教会と同じく、ビザンチン時代、十字軍時代を経て、その遺跡の上に現在あるものが1914年に建てられています。この教会の地下には、洞窟の住居跡があり、そこに下りていく階段も当時のものが残っています。ここでもお互い父、母として祝福されるようメンバーと祈ることができました。またギリシャ正教の聖ガブリエル教会も見学しました。
最後に、隣接するマリアセンターで2千年前の地表が残る(といってもこれが家の上に当たる部分のようですが)遺跡を見学しました。通常は立ち入り禁止となっているのですが、日本人の磯村典子シスター(後述)が特別に許可して下さり、実際に足で踏んで体験させていただきました。私たちの想像では、家とは柱を立てて屋根を付けるイメージですが、その様子は洞窟のようであり、天井に煙などを通す穴がある原始的なものでした。思わず当時の香りをかぎたくて、その穴から中をのぞくと、なんだか幼少のイエス様がおられるようにも思え、うれしいひと時でした。
また、イエス様の伝記ビデオを鑑賞、そしてチャペルに導かれメンバーで祈祷会を持ちました。ここでこのセンターの案内をしてくださったのが、磯村シスター。この方のお父様は元ニュースキャスターの磯村尚徳さん。実は私がまだノンクリの時に妻(当時はガールフレンド、妻は元3代目カトリック信者)に誘われ四谷のイグナチオでミサにあずかった時、すぐそばに磯村さん一家がおられ、その時の小さな娘さんがそのシスターだったというわけです。不思議な再会でした。現在磯村シスターは、シェマンヌフ共同体というフランスカトリック教会の中の聖霊刷新運動に仕えているシスターでもあり、共に聖霊にあり祈祷会を持ちました。楽しいひと時でした。今回のエンパワード21にも参加したいと仰っていました。
さあ、いよいよエンパワード21が始まります。全世界から1万人のクリスチャンが祈りのためにエルサレムに集結します。
(文・妹尾光樹=純福音成田教会牧師)