「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」(マタイ11:28~30)
クリスチャンになったのに、疲れ果てて悩んでいる人はいますか。それは、本来下ろさなければならないものをまだ背負っているためかもしれません。「神様、助けてください」と祈っていても、自分の荷物を背負ったままなのではないでしょうか。まず、その重荷を主の御前に下ろさなければなりません。
クリスチャンになる前は明るい人だったのに、クリスチャンになって暗くなったという人がいます。毎週礼拝をしなければいけない。什一献金をしなければいけない。モーセの十戒を守らなければいけない・・・。自分の聖さが足りない、正しさが足りない、だから祈りが届かないのだという悪循環の思考に陥ってしまうのです。しかし、イエス様はおっしゃいます。「わたしがあなたがたを休ませてあげます」(28)。クリスチャンになったのにあなたの魂に安らぎがないなら、何かが間違っています。方向性が違うのです。
将来の漠然とした不安、経済的不安、会社の人間関係、子どものこと、妻のこと、夫のこと、結婚のこと、重荷と思うことがいろいろあるかもしれません。そういうものを、イエス様を信じる者は、まず下ろすのです。
もしあなたにこのような重荷があったら、今それをすべて主の御前に吐き出してください。できれば声に出して言ってみてください。それをイエス様にすべて預けましょう。預けた問題は、もうあなただけの問題ではありません。イエス様が、責任をもって解決してくださいます。
下ろした重荷をもう一度背負うことはやめてください。お預けしたのですから、それらは全部、神様が心配してくださいます。クリスチャンだからああしてはいけない、こうしてはいけない、こうでなければならない。これらは重い荷です。クリスチャンは、軽くなければいけません。クリスチャンこそ楽な生き方ができます。なぜなら、将来に不安を持たなくてよいからです。あなたの抱えるすべての問題は、これからは神が心配してくださるのです。
この基礎を確認したうえで、次に進みます。イエス様はさらに続けてこうおっしゃいます。「あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい」(29)。イエス様のくびきを負うとは、イエス様といつでも結び合わされて生きるということです。一週間のうち、日曜日に教会に行く数時間だけイエス様のことを思い出し、あとは忘れているなんてことが、決してありませんように。クリスチャンは24時間、神と共に生きる者です。24時間、キリストと共に生きるのです。
敵のおびただしい大軍を前にするヨシャパテに神は、「この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである」(Ⅱ歴代誌20:15)と言われ、彼は神を礼拝しました。すると、敵は勝手に同士討ちを始め、自滅しました。
神の言葉を信じて生きることです。「わたしのくびきは負いやすく」(30)とあります。この「負いやすく」とは、新改訳聖書のフットノートには、「心地よく」とあります。クリスチャンの人生は、心地よいものです。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)。あなたが神の言葉を信じ切って生きるならば、信じた通りになります。イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた時、天から神の御霊が鳩のように下って、声が聞こえました。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」(マタイ3:17)。イエス様はいつも、天の父に愛されているという自己認識を強くお持ちでした。
悪魔は、その思いとまさに反対の思いをあなたに持ってきます。「お前なんて愛されていない、お前になんて祝福などない」。あなたはそれを、イエス様のように退けなければいけません(マタイ4:1~11)。悪魔があなたを惑わしに来たら、神の言葉によって悪魔を刺すのです。そうすれば、悪魔は離れていきます。
あなたが聖書を読もうとすると、悪魔は本当のことを知られたら困るので抵抗してきます。聖書は真理です。その真理を信じ切って体験していくと、あなたの信仰はますます強くなるので、悪魔はさらに邪魔をしようとします。でも、それでもあなたが御言葉を信じ切って従い通すならば、悪魔はあなたの前から逃げ去ります。
あなたは、確かに愛されています。神はイエス様を十字架にお架けになるほど、あなたを愛されているのです。聖書を読めば、あなたがどれだけ神に愛されているかが、明確に書かれています。それを「アーメン」と受け取る時、あなたの自己認識が全く変えられるのです。
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」(ローマ8:32)
この世で一番尊いものは、イエス様の命です。その命をあなたのために差し出されたということは、あなたの価値はイエス様の命と同じということです。つまり、イエス様に対して、「これは、わたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」とおっしゃることは、実はあなたに向かって神がそうおっしゃっているということなのです。それほどまでに、あなたは神に愛されているのです。
自信をもって祈ってください。「神様、私はあなたに愛されています。私は祝福された人です。私は、御子を惜しまずに与えてくださったほどに、あなたに愛されています。アーメン」
この自己認識を明確に持ったあなたに、耐えられない試練はありません。あなたを愛される神が、必ず脱出の道を備えてくださり、あなたは見事にその試練を乗り越えるのです(Ⅰコリント10:13、ヤコブ1:12)。
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神内源一(じんない・げんいち) / 徐起源(そう・きうぉん)
ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。
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