牧師の働きを通して経験したこと、教えられたこと(1)
前回述べた大きな変化によるさまざまな葛藤を通して、この6年間の牧師としての働きの中で、私は多くのことを経験させられ、また教えられてきた。それらは、ビジネスマンの信仰の成長にも通じる部分があると思われるので、ここで紹介したい。
召しの変化(職業への召しから証しと宣教への召し)を通して経験したこと、教えられたこと
召しの変化によって、神とのより深い交わりや神のために全てをささげることが、常に求められるようになった。このことが喜んでできている間は、問題は生じない。しかし、必ずしもいつも喜んでそのことができるという訳ではなく、そのような時に問題が生じる。ビジネスマンの場合、仕事が順調でない時には、仕事の内容を変えてもらったり、一時的に他の人に代わってもらったり、ペースを落としたりと、幾つかの取り得る選択肢があったように思う。
しかし教会の牧師の場合、その働きを辞めるか、または休まない限り、他の人と簡単に代わることや手を抜くことはできず、選択肢はほとんどないといえる。それ故そのようなとき、牧師は心に苦しみや痛みを感じることとなる。そして、そのような状態がしばらく続くと、いわゆる燃えつき症候群に近い状態となる。私自身も、何回かそのような状態を経験した。そしてその経験を通して、召しへの思いが弱くなるときに、また主の恵みを十分に受け取れず、主に委ねることもできずに、何とか自分の力で頑張ろうとするときに、さらに肉の思いを十分に明け渡すことができないときに、そのような状態になるということを確認させられた。ただ私は今、そのような心に苦しみや痛みを感じる時があったことを感謝している。そのことが、私にとって貴重な経験となったからである。辞めることも休むこともできない状況の中で、苦しくともなお何とか進んで行こうとするとき、主はそのような私を哀れんでくださり、御声をかけてくださり、悔い改めに導いてくださった。そして心の苦しみや痛みを通して、どんな時も、私を導こうとされる主のご愛を感じることができた。それ故、私にとってこの経験は、今牧会を続ける上での大きな力となっている。
連続して毎週礼拝のメッセージを生み出す苦しみは、並大抵のことではなかった。これまで約40分のメッセージを250回程度させていただいたが、本当にこの産みの苦しみはもういい、やめられればどんなに楽かと思うことがしばしばあった。この苦しみの程度は時と共に軽くなってきたが、現在でも時として苦しい状況になることがある。そのような苦しみを乗り越えてここまで来ることができたのは、やはり召しへの思いであった。また教会の兄弟姉妹方が文句を言うこともなく、ただ忍耐をもって私のつたないメッセージを聞いてくださるという感謝の思いであった。さらにそのメッセージによって、教会の兄弟姉妹方の信仰が、ほんの少しでも成長してほしいという私の心からの願いでもあった。これまで、上より力を与え、メッセージの準備を導いてくださった主に心から感謝したい。
牧師としての働きを通して、キリスト者の信仰は、教会という信仰共同体での礼拝や交わりや学びを通してでなければなかなか成長しないということ、それ故信仰を感情に左右されない確固としたものに成長させるには、教会にきちんと所属して教会の活動に積極的に参加することが不可欠であるということ、また、教会生活がマンネリ化すると、いくら教会に通っていても信仰の成長にはほとんどつながらないということ、さらに、信仰の成長は個人差があるものの、時間がかるものであるということなどをあらためて覚えさせられた。そしてこれらのことを通して、一人一人の信徒に真心と忍耐とをもって接していくことが大切であることを強く思わされた。と同時に、私はそれをなかなか待つことができず、あせったり、自分で何とかしたりしがちな者であり、自分はいかに忍耐のない者、主に委ねることのできない者であるかということをも思わされた。
宣教に対する思い、魂の救いに対する思いはあるものの、宣教が一向に進まないとき、また努力しても、救われる者が起こされないとき、このまま続けていても何も変わらないのではないか、私は牧師としてふさわしくないのではないか、との思いにとらわれることがあった。そのような時、私を支えたのは、ルカ12:32「小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです」の御言葉であった。御言葉を通しても私を励まし続けてくださっている主に心から感謝し、これからも牧師としての働きに邁進して行きたいと思う。
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(参考並びに引用資料)
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門谷晥一(かどたに・かんいち)
1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)。