今年も紅葉が綺麗な季節を迎えました。8月の終わりに、クリスチャンで農家を営んでいる方が「今年は秋が早いぞ」と言っておらました。まさにその通りでした。農家の方々は、自然を相手に仕事をしているため、自然界の変化や異常を敏感に感じるそうです。私たちにとって、自然界の移り変わりは喜びであり、楽しみの一つです。なぜなら、それぞれの季節から多くの恩恵を受けることができるからです。
しかし、私たち自身の人生の移り変わりはどうでしょうか。この移り変わりは変化ということです。ポール・トゥルニエは、人生を春夏秋冬の四季で例えました。私たちにとって人生の変化は、精神的安定から精神的不安定、精神的不安定から精神的安定を経験する時間です。それは、人生の危機と言ってもよいかもしれません。しかし、人生の変化は瞬間的に訪れることもあります。
私たちは、この世に生を受け歩み始めます。そして、乳幼児期から児童期、児童期から青年期、青年期から壮年期、壮年期から老年期と死に向かって歩みます。このライフサイクルの変化の中で精神的に親子分離を経験したり、病気になったり、何らかの事故に遭遇したり、失業したり、愛する者を失ったりと精神的な安定を失う経験をたくさんするものです。精神的不安定な時期から安定するまでの移行期間にこそ、人とのつながりの強さ弱さを感じたり、孤独感を味わったりもします。また、自分の存在理由や人生の無意味さなどを感じてしまうこともあります。実に私たちは、人生の変化の中で精神的に絶えず揺れ動き、不安定になってしまうものです。当然、私たちが精神的不安定の渦中で願うことは「早くこの精神的不安定の状態から抜け出したい」ということです。
このように、ライフサイクルから見えてくることは「人生の本質は変化の連続」だということではないでしょうか。そこで私たちにとって大切なことは、人生の変化に伴う精神的不安定も人生の一部であることを受け入れることです。なぜなら、人生の変化を受け入れることができないと、自己否定したり、物事を拒否したりしてしまいます。また、怒りも蓄積してしまうものです。そのため、変化することを恐れ、自分を変えず人を変えるためにエネルギーを使ってしまいます。
人間の歴史に目を向けると、時の指導者や権力者たちは、変化することを恐れました。そのため、さまざまな弾圧が起こりました。キリスト教会の歴史も例外ではありません。事実、キリスト教会は弾圧の歴史です。日本におけるキリスト教会の歴史は、ザビエルによって福音が伝達されて以来、時の権力者によって多くの殉教者を出してしまいました。変化を嫌う人々によってもたらされた人間の悲劇です。
私たちは、時の権力者たちのような悲劇を起こさないために、どう対処したらよいのでしょうか。その対処として、他者の力を借りて分かち合うことです。なぜなら、人の力を借りることによって関係性を深め、一緒に生き方を考え探し求めることができるからです。私たちは、不安定な精神状態にある時、どうしても自己防衛的になってしまいます。その自己防衛的な心の壁を、人と関係性を深め、分かち合うことによって打ち破る必要があります。それによって、変化を嫌う背後に自己中心性が潜んでいることに気が付くようになります。また、人間であるとは、さまざまな過去を背負い生きている存在であること。そして、その自分の過去をありのまま受け入れることがとても大切であることを知ります。その結果、自分だけではなく他者をありのまま受け入れることが可能になってくるものです。
こうして、私たちは恐れなく心を他者に開くことができるようになり、他者をもっと愛せるよう変化していくことでしょう。すると、自分や他者に対して責任ある存在として、新しい生き方が始まっていきます。こうして、人生の変化に伴う不安定な精神状態が整理されて安定し、成長していきます。
私たちの霊的な領域(信仰の領域)においても同じことが言えるのではないでしょうか。
ペテロは、イエス様に「人間をとる漁師にしてあげよう」と伝道者として呼ばれました。彼は、何もかも捨ててイエス様に従う人生を歩み始めました。しかし、ペテロはイエス様に従うことに失敗ばかりする人でした。そのペテロの人生にとって大きな変化である危機的状況について見てみましょう。
ペテロにとって大きな人生の変化、危機は、ペテロがイエス様を知らないと三度否んだ経験です。マタイは、この時のやりとりを残しています。「イエスは彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。』ペテロは言った。『たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。』弟子たちはみなそう言った」(マタイ26:34、35)とあります。このようなやりとりの後に、ペテロはイエス様が言われた通り三度イエス様を否みました。マタイは、その時の様子を次のように記録しています。「そこでペテロは、『鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います』とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた」(マタイ26:75)
ペテロは、イエス様の言葉を思い出して激しく泣きました。ペテロが破れた瞬間です。この破れこそ、ペテロの人生を大きく変化させた出来事です。ペテロは、逃げ出すこともできました。しかし、ペテロは逃げる(引きこもる)ことをせず、イエス様の言葉を思い出して激しく泣いたのです。ペテロは、泣く場所を間違えませんでした。このイエス様の言葉を思い出して激しく泣いたという行為こそ、イエス様との深い交わりです。自分の自己中心性や頑固さを悲しみ悔いたのです。彼は、イエス様の言葉に包まれて激しく泣き、悔い改めました。このペテロの状態こそ、自分のありのままを受け入れた者の姿です。こうしてペテロの人生は、精神的領域だけではなく霊的な領域までも取り扱われて整理され、成長したのです。
私たちは、人生の変化、信仰の変化にどのように対処するでしょうか。聖書の言葉を思い出し、イエス様との深い交わりの中で自分を受け入れることができる者にさせていただいたら幸いです。人生の変化の渦中でイエス様の力にお委ねすることが、私たちにとって一番安全ではないでしょうか。
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渡辺俊彦(わたなべ・としひこ)
1957年生まれ。多摩少年院に4年間法務教官として勤務した後、召しを受け東京聖書学院に入学。東京聖書学院卒業後、日本ホーリネス教団より上馬キリスト教会に派遣。ルーサーライス神学大学大学院博士課程終了(D.Mim)。ルーサーライス神学大学大学院、日本医科大学看護専門学校、千葉英和高等学校などの講師を歴任。現在、上馬キリスト教会牧師、東京YMCA医療福祉専門学校講師、社会福祉法人東京育成園(養護施設)園長、NPO日本グッド・マリッジ推進協会結婚及び家族カウンセリング専門スーパーバイザー、牧会カウンセラー(LPC認定)。WHOのスピリチュアル問題に関し、各地で講演やセミナー講師として活動。主な著書に『ギリシャ語の響き』『神学生活入門』『幸せを見つける人』(イーグレープ)、『スピリチュアリティの混乱を探る』(発行:上馬キリスト教会出版部、定価:1500円)。ほか論文、小論文多数。
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