人は病気になると、病気そのものの苦しみと同時に、なぜ私がこんな病気になったのかという思いに悩まされます。
多くの人たちは過去にその原因を求めます。ある人は祖先が悪いことをしたからその報いを受けているのだと言います。先祖の供養が足りないから罰が当たったとか、家の方角が悪いからだと言う人もいます。また、ある人は運命(さだめ)だから諦めなさいと言います。
一部の心理学者は、その人の生い立ちや環境が原因だと言います。これは「行動理論」と呼ばれるもので、「環境によって人は条件付けられ、特定の行動をするようになる」という考えです。つまり、「あなたがこれまで置かれてきた環境の結果として、今のあなたがある」というのです。ですから、環境を変えればあなたも変わるというわけです。
最大のよりどころとしたのは、パブロフというロシアの心理学者が行ったよだれを流す犬の実験です。ベルが鳴るとおいしいエサがもらえるという体験を何度も繰り返すうちに、犬はベルの音を聞いただけで、食べ物が目の前に置かれなくても唾液を出すようになります。パブロフはこの実験から、犬が環境によって変化したのだという結論を出し、これを条件付けと呼びました。これらの発見から、人間の行動の大半は条件付けの結果であると結論付けました。
環境だけが問題?
養育環境のせいで自分は不幸になったという考えに縛られている人も少なくありません。自分の生い立ちがいかに悲惨なものであったかを訴える人がいます。「父がアルコール依存で私はひどい虐待を受けた。だから今、自分がこのような病気になり治らないのだ」。確かにつらい体験だったことでしょう。
しかし、環境と性格や病気との間には、必ずしも因果関係があるとは言えません。事実、厳密に同じ環境で育った一卵性双生児について、数多くの研究が行われています。一般的には、2人は非常に似た大人になると予測されますが、実際には天と地ほどの開きができる場合もあります。環境が、どういう人間になるかの一因になることはあっても、性格形成や心の変革の決定的原因にはなりません。また、環境を変えることによって、自動的に人格が変わるわけではありません。理想的な家庭に育ちながら、うつ病に悩まされている人も少なくありません。
あなたは変わろうともがき苦しみ、環境を変えれば自分も変わると思っているかもしれません。新しい町、新しい会社や学校、新しい友人関係、あるいは新しい夫、新しい妻・・・。そして何回も離婚と引っ越しを繰り返す人までいます。
私たちは、都合が悪いことが起こると、周りの人たち、環境、運の悪さなどのせいにしてしまいます。しかしシーザーは次のようにたしなめています。「ブルータスよ、悪いのはわれわれの運命ではなく、われわれ自身なのだ」(シェイクスピア)
もしかしたら、環境が悪いのではなく、問題は自分自身かもしれません。私たちの問題は外側だけにあるのではなく、自分の内側にもあるのです。
目的に注目する
このように多くの人は問題に直面した時に「どうしてこんなことになったのか、何が原因だろう」と考えてしまいます。このような考え方を原因論と言いますが、仮に幼少時に受けた親からの虐待があなたの心の病気の原因だとしても、過去のつらい経験を打ち消すことはできません。過去は変えられないのです。
これに対して「どんな目的でその行動をしたのか、何を達成したくてその行為に出たのか」に焦点を向けていく考え方を目的論と言います。これはフロイドと同時代に活躍したアドラーによって提唱された個人心理学と呼ばれる基本理念の一つです。
私たちがある行動を決定しようとするとき、過去の経験を思い出して照らし合わせ、現在の状況を分析し、未来にどのような結果が期待できるかを総合的に解析しています。その中で、最終的に人が行動を選択する決め手は、未来にかかわる要素だというのが、アドラーの理論なのです。
例えば、子どもがテストの日にお腹が痛くて学校を休んだとき、学校を休むための理由として、腹痛という症状を生み出したのだと考えるのが目的論的な解釈です。あるいは落ち込んで会社を休んでいるときに、原因論的に「なぜ」仕事を休んでいるのだろうと内省するならば、過労や人間関係の摩擦などが原因として浮かぶでしょう。しかし、「何のために」自分は休んでいるのだろうと考え直すなら、「疲れた心身を休めたかった。仕事を辞めるきっかけを作りたかった」などの無意識の目的が明らかになるかもしれません。
原因論的に考えると、過去や他人に責任転嫁してしまい、前向きに歩み出すきっかけがつかみにくいことが多いのです。しかし、人の行動は過去ではなく、未来に掲げる目標によって決まると考えるなら、自分を変えようという積極的な気持ちが湧いてきます。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント5:17)
聖書はすべての罪と失敗は赦(ゆる)され、古い自分は死んだのだと教えています。過去の自分に縛られず、キリストに与えられた新しい命によって、神の使命を生きましょう。
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浜原昭仁(はまはら・しょうに)
金沢こころクリニック院長。金沢こころチャペル副牧師。1982年、金沢大学医学部卒。1986年、金沢大学大学院医学研究科修了、医学博士修得。1987年、精神保健指定医修得。1986年、石川県立高松病院勤務。1999年、石川県立高松病院診療部長。2005年、石川県立高松病院副院長。2006年10月、金沢こころクリニック開設。著書に『こころの手帳―すこやかに、やすらかにー』(イーグレープ)。