ここ数年「新型うつ」という言葉をよく見聞きするようになりました。「息子は新型うつではないでしょうか」と心配して、親が相談に来ることもあります。この病名はマスコミが広めた造語で医学的な正式病名ではありません。患者本人は大変苦しんでいますが、仕事を休むとすぐに元気に遊び回ったりするので、周りの理解が得られず仮病ではないかと誤解されることも少なくありません。
従来の古典的なうつ病は中高年に多く、責任感が強くて、自分を責め、楽しめなくなります。一方、新型うつは若年者に多く、回避的で、他人を責めることが多く、好きなことなら楽しめるという特徴があります。さらに不眠、食欲不振、活動性の低下があまり見られません。
新型うつは状況依存的に気分が変わりやすく、都合の悪い事があると気分が沈み込んだ状態が続くものの、良いことや楽しい出来事があると、それまでの不調がウソのようにたちまち元気になります。また「自己実現型うつ」とも呼ばれ、好きなことをしていると自己確認ができて気分が良くなる半面、ちょっとでも我慢を強いられるような場面では、これは本来の私ではないと感じて、不満や悲しみが現れます。自分を大切にしすぎてしまい、周りへの配慮ができなくなります。
精神医学的に診断すると適応障害という診断名が一番近い状態です。これは主に人間関係の摩擦などの明らかな外的なストレスがあって、その結果軽度のうつ状態を呈している病態であり、原因が取り除かれれば回復します。誰もが発症する病気ではなく、心が弱く未熟な人がなりやすいことが分かっています。
きっかけは、上司に些細な事で厳しく注意されたなどの体験があり、相手の言葉に過剰反応して「自分のプライドを傷つけられた」と必要以上に悲観的に考えてしまう「拒絶過敏性」という病態が提唱されています(貝谷久宣先生)。職場とは違う場所にいても、嫌な経験が突然思い出されるというフラッシュバックが起き、それをきっかけに大きく気分が落ち込んでしまうのが特徴です。
「拒絶過敏性」はプライドが高く自己愛型の性格の人や、気が小さくて人の顔色ばかりうかがっている人に起きやすいと言われています。このような人はストレスで脳の前頭葉の機能低下が起きやすく、感情の起伏や怒りをつかさどる扁桃体、海馬(かいば)などをうまく制御できなくなってしまうのです。
かつての勤労者には「苦しくても多少は自分を犠牲にして会社のためにがんばるべきだ。休むなんてとんでもない」という社会通念が無言のうちに存在していました。やめたいほどつらいけれど簡単に休むこともできず、我慢して働いているうちに、自分を傷つけた怖い上司にも優しいところがあると気づいたりします。そのような体験が拒絶過敏性を癒やすきっかけになります。
しかし、現代では世の中の価値観や規範が揺らいで、望むものが簡単に手に入るようになり、嫌なことに辛抱強く立ち向かっていけない人が増えています。癒やされる体験まで我慢できず、病気のドロ沼の中にはまり込んでしまうのです。
以前このコラムで、母親によって保証される「ありのまま」と、父親によって示される「あるべきもの」について書きましたが、新型うつになりやすい人は自分が目指すべき「あるべきもの」が弱い故に、苦しみに耐える理由を持っていないといえます。
また、「ありのまま」の自分を自分が受け入れるのは大切なことですが、相手にも「ありのまま」の自分を受け止めてほしいと求めすぎてしまい、欲求不満が生じるのです。特に親との間に問題を抱えていて、無意識のうちに苦手な上司に親の姿を重ねているような場合は深刻です。
新型うつは、うつ病より症状が軽く治りやすいと誤解されますが、実は治療が難しいのです。たいていのうつ病は休息と薬物療法により数カ月で改善しますが、新型うつは薬物療法が効きにくく、治療の見通しが立てにくいことが多いです。会社を休んでいる限りは症状が良くなったように見えても、職場に戻って似たような人間関係に遭遇するとすぐにぶり返してしまいます。
治療は薬物療法と休息ですが、ある程度回復したら、ただ休んでいるだけではよくありません。ウオーキング、ランニング、スイミングなどの運動療法を週に4~5回、30分程度続けると治療的な効果が期待できます。この時、少し息が切れてしんどいという激しさをとり入れることがコツです。ドーパミンやセロトニン神経が安定して、不安がおさまり、心理的にも「負けないぞ」という前向きな気持ちがよみがえります。
また新型うつは、人間関係の病気ですから、信仰が回復に大きな助けとなります。まず、自分を傷つけた相手を赦(ゆる)すことです。ある患者さんは会社で自分をいじめた人に悩まされていましたが、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)という御言葉が心に響いてきたことが回復のきっかけになりました。
さらにもう一歩進んで、自分を傷つけた相手を敵と見なすのではなく「共に働く仲間だ」と考えるようにすることです。これはアドラーが提唱した個人心理学の共同体感覚という考え方であり、とても聖書的です。
最後に恐れないことです。新型うつの人はビクビクして、対人関係で過剰に恐れを抱きやすくなっています。これは扁桃体という脳の恐れを感じる部分が過剰に興奮しているからです。聖書には湖の上で大嵐に遭い死の恐怖を味わった弟子たちの姿が描かれています。この時、イエス様は「黙れ、静まれ」と言って嵐を収めました。
「イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に『黙れ、静まれ』と言われた。すると風はやみ、大なぎになった」(マルコ4:39)
イエス様が静めたのは天候の嵐ばかりではありません。弟子たちの恐れているその心も静めたのです。私たちも対人恐怖という嵐が来たとき、自分の魂に対して「黙れ、静まれ」と宣言し、キリストの平安が心を満たすように祈りましょう。
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浜原昭仁(はまはら・しょうに)
金沢こころクリニック院長。金沢こころチャペル副牧師。1982年、金沢大学医学部卒。1986年、金沢大学大学院医学研究科修了、医学博士修得。1987年、精神保健指定医修得。1986年、石川県立高松病院勤務。1999年、石川県立高松病院診療部長。2005年、石川県立高松病院副院長。2006年10月、金沢こころクリニック開設。著書に『こころの手帳―すこやかに、やすらかにー』(イーグレープ)。