心の成長に両親がどのような役割を果たしているか、それがうまくいかないときに、人の心はどのように病んでいくのかに関しては、さまざまな考え方があります。今回は学説にこだわらず、私が治療場面でよく用いている考え方と聖書による解決を紹介させていただきます。
母親とは無条件の愛を与えてくれる存在で、子を「ありのまま」として愛し包みます。父親は正しい道を示してくれる存在で、子を「あるべきもの」として愛し導くということができます。その人のまま受け入れるのが母で、その人らしく成長するのを祈るのが父です。
幼児のある時期に、子は自分と母は別の存在なのだと意識し始め、不安や無力感から、すべてを包み込んで守ってくれる母親の愛を求めます。母親の愛とは、「あなたがそこにいてくれるだけで幸せである。どんな失敗や過ちがあっても私の愛はなくならない」という態度です。
このような幼い時期に母親とふれあう時間が少なかったり、不自然に引き離されたりすると、心の弱さを抱え、大人になって不安やうつになりやすい素質を持ちます。誰もが持っている「見捨てられ不安」と呼ばれるもので、無条件に愛されたという安心感が十分に育っていないと生じます。この不安が強いと、大切な人間関係が成立しても、依存し過ぎたり、ささいな事で絶望的な孤独感に圧倒される不安定な心理状態が続いたりします。
母の愛を十分に受けることができると、次は心を向ける新しい中心として父親を求めるようになります。父親は、思考と行為を導いてくれる原理のような存在です。父性的特徴は、完全と規範です。「あなたは正しい道を歩まなければいけない。間違ったことをしたときは、その責任を取らねばならない。何よりも私に好かれたかったら、私の教えを守らなければならない」と言います。その結果、子どもの行為の動機となるのは、父親にほめられたい、父親の機嫌を損ないたくないという欲求です。
フロムによれば、子どもが十分成熟すると、守ってくれる母親からも、規範を示す権威としての父親からも自由になり、自分自身の内に母性原理と父性原理を作り上げます。人は「ありのまま」で愛される母性的な愛を受ける時期から、「あるべきもの」になることを期待される父性的な愛の時期を経て、両者のバランスを取りながら成長していきます。
しかし不安の強い人は、理想が高く、完全主義的でいつも「あるべき」自分という姿が頭から離れません。完全欲への捉われが強過ぎるからです。しかし、現実生活は思い通りに行かないことの方が多く、弱くて、不完全な「ありのまま」の自分の姿に悩まされて、何とか「あるべき」自分になろうとして焦り、もがきます。
誰もがこの「ありのまま」の自分と「あるべき」自分の間にギャップを感じていますが、これは向上心や心の成長の原動力として必要な感覚です。けれどもこの差が激しくて、早くこの隙間を埋めようと必死になると、不安や焦燥感が現れます。そしてついには「あるべき」自分には到底なれないとあきらめて、ため息をつき、失望し、無力感やうつ気分に圧倒されるようになります。
「ありのままの自分」という現実認識と「あるべき自分」という理想志向とが真っ向から衝突すると、自己そのものを否定し、あるいは劣等感に悩まされ、逃避的な人生となってしまうのです。
このような状態の解決は、「ありのまま」の自分に重心を戻すことです。「ありのまま」の自分で良いというのは、ただ単に自分の欲求に従って好き勝手に生きるということではありません。わがままで自己中心的な欲望があるからといって自己否定するのではなく、そっと、そのままにしておくのです。そして、こんな不完全でダメな自分を受け入れてくれる人がいたことを思い出すのです。
「ありのまま」の自分を愛してくれた母親との平安な日々を経験していた人は、飾らない自分を受け入れ、そこにくつろぐことができます。
愛される経験が少なかったと感じている人にとっても、次の言葉が慰め、励ましになります。
「あなたがたは乳を飲み,わきに抱かれ,ひざの上でかわいがられる。母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、エルサレムであなたがたは慰められる」(イザヤ66:12、13)
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)
神は母のような「あるがまま」の愛をもって私を愛してくださっていることが分かります。神はたとえあなたが何もできなくても、この世に生きているだけで喜び、満足しておられます。さらに、あなたが「あるべきもの」になれるように、神は指針と規範を示すだけではなく、聖霊によって「あるべきもの」になれる力をもお与えくださるのです。
神は人間的な母性愛と父性愛の両方を兼ね備え、さらにそれを凌駕(りょうが)した広く深い愛を持った方です。この神と日々交わるとき、私たちの心に「育て直し」という現象が起きます。幼少時に傷ついた心が癒やされ、足りなかった愛が満たされるのです。悲しくつらかった記憶も、別の有意義な意味によって上書きされます。
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浜原昭仁(はまはら・しょうに)
金沢こころクリニック院長。金沢こころチャペル副牧師。1982年、金沢大学医学部卒。1986年、金沢大学大学院医学研究科修了、医学博士修得。1987年、精神保健指定医修得。1986年、石川県立高松病院勤務。1999年、石川県立高松病院診療部長。2005年、石川県立高松病院副院長。2006年10月、金沢こころクリニック開設。著書に『こころの手帳―すこやかに、やすらかにー』(イーグレープ)。